MY LIFE

Road to 金龍④ 茂木〜小浜〜リスタート(113km〜173km)

113km(茂木,AM5:10,19時間)
予定時刻着。夜明けが来た!と言いたいところだが、まだ真っ暗。春なら明るくなっているのに。季節を感じる、これもまた超ウルトラの醍醐味。茂木では入浴できる(3階の一番奥まで行く必要がある)。楽しみの一つ(お風呂に入らない人の方が多い)。師匠岩永さんにもここで会えた(ランナーが眠らないならボラも眠れないのだ)。風呂に入り、荷物を整理して、テーピングとかいろいろやっていたら、あっという間に1時間。

茂木リスタート(AM6:05)
スタートから20時間。二日目の始まり(どこからが二日目なのか、は愚問である)。茂木の朝焼けは、空と海がすべて赤く染まるほど美しかった。キーンと冷えてきた。次の目標は130km(網場日見)目標は2時間半弱。

悲願のW完走を目指すH瀬さん(69歳)と一緒になる。体が傾いていた。茂木までは僕よりも1時間以上早く到着。仮眠していたとのこと。
「(すでに痛みで思うように走れず)小川さん、僕は今回もダメばい」という。「なに、言ってるんですかー。傾いていますけど、まだ走れているじゃないですか^^」
H瀬さんはスピードランナー。練習もスピード走がメインで、ロング走はあまり走らない。湾岸では、ぶっ倒れそうな感じでゴール&リタイアしながらも出場(挑戦)を続けている。尊敬する大先輩の一人だ。H瀬さんはなんだかんだと弱音を吐きながらも、僕と殆ど同じくらいのペースで進んだ。これが超ウルトラで培われていくスピリッツのひとつだと思う。なにより、知り合いが見えていると頑張れる^^

Y外さんと一緒になる。茂木では殆ど休憩しなかったとのこと。膝と腰をかなり痛めているようだった。Y外さんが痛みを口にすることは殆どない。余程のことだと思う。「小川さん、今回はダメかもしれん」。前回、W初挑戦で完走。
僕がW挑戦を決めたのも、前回のY外さんの250km地点の走りを見たときだった。Y外さんのいつもの助言は「小川さん、Wは一発で仕留めんといかん」
※ここから7時間後、リタイア(150km付近)のメールを見る。おそらくかなりの痛みが発生してから15時間近くは粘り、回復の手立てを考え、復活を信じて諦めずゴールを目指したと推察。師匠の分まで走れないが、教えを信じてゴールを目指すのみ。

130km(日見,AM8:20,22時間20分)
目標時刻着。朝を迎えて日見まで来ると、かなりホッとする。エイド手前にある12時間ぶりのコンビニへ。トイレに駆け込む。お腹が冷えると急に来る。きれいなトイレはホッとする(笑)。

日見エイドは賑やか。家族と会えると思って、ワクワク目標にして来たが、いない(苦笑)。豚汁をしっかり食べ、塩分補給と胃を温めるために汁だけお代わりする。家族もいないので、早々にリスタート。次の目標は飯盛峠の「おはぎ」。約1時間半。

矢上大橋にて家族と会う。やっぱり元気が出る^^由比ヶ浜で家族のプチエイド。他のランナーの方々にもみかんや飲み物を勧める。のんびり休憩する時間はないので、すぐに発つ。

飯盛峠の激坂登りと由比ヶ浜の絶景。Hさんに追いつき談笑しながら進む。Hさんの自宅は諫早。夏場はこのルートを自宅から逆走して、由比ヶ浜にそのままドボンするらしい(笑)。確かに気持ちいいだろうなあ(僕も自宅から雪浦まで片道50km走って、川にドボンした)。

138km(飯盛峠CP、AM10:00、24時間)
目標時刻着。名物「おはぎ」を食べる。が、なんとHさん「甘いものがダメ」とのこと。なに!その風体からは想定外!でも、よく考えると、ランナーにも甘いものが苦手な人はいるわけで。ランナーの生命線である貴重なエイドでの補給食が甘いものばかり、コーラばかりなどと偏っていては、ランナーズファーストを掲げる当大会にとって要改善項目。

激坂を登るということは、激坂を下るということ。
右足首がずっと痛い。ここに来て、下りは痛みがさらに酷くなり、走れなくなる。ぐんぐん離され、追い抜かれていく。まだ先は長いので、焦らず、足のダメージを最小限にすることを優先する。

下り終えると飯盛開地区。ちょうどいま仕事で家づくりをさせて頂いているエリア。依頼主のご実家近く。
余談:自分が走るコース上での家づくりがいま、複数箇所ある。そのエリアに妙に詳しくなり、依頼主との会話も弾む。

143km(じゃがいも畑)
灼熱ロード。ここまでくると、Lならゴール地点の小浜がグッと近づいてくる。が、今回はそこでは終わらない。島原半島と普賢岳がハッキリ見えるということは、ここからさらに「あの半島をぐるっと回って、あの山二つ登って」という具合に、リアルにどん引きする、これからゴールまでどれくらいか、分かりやすく見せつけてくれる。

同じような畑が続くので、どこから曲がればよいのか、わからなくなった(春に比べてルート表示が減る)。何回来ても分からなくなる。で、何名かと共に道に迷う。ここでのロストは地味に堪える。

146km(ポテトエイド)
家族と会う。義父母も応援に来てくれる。有難い。名物「杏仁豆腐」。エイド主はKIMIさん(北九州)。KIMIさんはスーパー女性ランナー。北九州URCの重鎮。弱音は許さず、常に叱咤激励、コーチングは鬼軍曹。でも、面倒見がよくて、皆から愛される。ここの杏仁豆腐を子どもたちにもこっそり食べさせてくれる。

余談:このエイドは私にとって思い出深い。2年前初Lのとき、ご一緒していた北九州URCの西田さん&大庭さんという重鎮コンビが、ここで座るなり「いやー、ここまできたら、あと20km。ゴールが見えてきましたねえ。ビールでも飲みますか」といって、その場で飲み始めた(エイドに冷えた缶ビールが密かに準備してあることもすごい)。わかるんです、ここの景色とここの灼熱と、ここまで到達した時のホッとした感じ。ゴールで飲むビールよりも、ここで飲むビールが格段に美味しいと僕も思います。このとき、あー、超ウルトラの楽しみ方って、こういうことなんだなあと。僕の目標の一つは、いつか、ここでビールを飲めるランナーになること。ちなみに春Lのとき、僕もすごく勧められた。ついに、エイドでビールを勧められるような変態ランナーに到達したか、と嬉しかった(笑)。ちなみに一緒にいたSさん(金龍、女性)は飲んでいた^^

ポテトエイドからの下り。足元が悪く、勾配もきつく、足の痛みを後押ししてくれる。さらに暑い。

ここですごい顎鬚のランナーが抜いていった。長崎新聞記者の後藤さん(政治部)。一度会いたいと思っていたランナーと会えた!というのも、つい最近、仕事の広告の関係で、後藤さんの元部下にお世話になっていたので。
「小川さんですか!」と。ウルトラのレース中、150kmぐらいのところで、政治&選挙談義をするなんて粋だ^^
後藤さんは、選挙取材で練習できない時期があったとのこと。「疲労が抜けてよかったですね」というと「そうなんですよ」と。昼夜逆転の生活が続いたおかげで「夜眠くない」とか(笑)。「練習不足なんです」と言いながらも聞けば、2週間ほど前に野母崎半島を80km試走したそうな。
※後藤さんも金龍ランナーに!そして、公私混同全開で、新聞紙面一面を使って、橘湾岸特集記事を掲載してくださった^^
※日経新聞にも公私混同でランニング特集を度々掲載する記者がいる。自らが社会にとって提供する価値があると判断したことを世に提供する、これが記者のミッションだと思うので、私は大賛成。

次のエイドまでかなりある。暑くて日陰もなくしんどい。これはやばいと思い、軒先の日陰で小休憩。自販機で冷えた水を買い、脇、後頭部、頸動脈にあて、冷やす。
2011年春S55km初挑戦の時、嘔吐しまくって、妻に水を持ってきてもらった地点に到達(あの苦い経験以降、水は必ず携帯する)。国道に出て交通量が多い。物産所「とれとれ旬や」。春Lはここで熱中症になり、小休憩した(あらゆるものを投入し、復活)。何度来てもきつい。木陰&下りに入る。急坂で足元が悪く、足首に激痛。まずいなあ。

156km(唐比)
エイドがLではあるがWではない。家族エイド。足の痛みがひどくなり、ペースが落ちてきた。この状態でこのペースだと小浜到着が予定(目標)より遅くなる。ペースを戻さずに風呂か仮眠を諦めるか、それともペースをあげて、ギリギリまで目標タイムを目指すか。
結論は、ギリギリまで目標タイムを目指すことにした。気持ちで負けると、あっという間に負けていくから。ピーカンの千々石海岸をぼちぼち走る。気持ちが入ると走れるものです。

千々石海岸といえば、初55kmでの40km地点。リタイアの電話をかけた思い出の場所。あの電話をかけるまでに何時間苦しんだことか。あのときはスタートから7時間が僕のすべての限界だった(いまは28時間でまだ旅の半分)。

千々石CP
N重さんたちに追いつく。休憩せず、パンチしてカステラ頬張ってすぐにスタート。休んでいる場合ではないのだ。1分が惜しくなってきた。千々石公民館を越え、小浜中継点(173km)までラスト10km。春はここから覚醒したなあ。

ここでレイトスタートのランナーも含めて、かなりの人が一緒になり、賑やかに。後ろから聞いたことがある声。T田さん(福岡、金龍、女性)。15時間ぶりの再会。3時間遅れのスタートだけど、快調そのもの。キレキレの走りだった。6時間遅れのスタートでT雑さんが抜いていった。美しいフォームにタマゲタ!これが24時間170km走ってきた人の走りなのか!と
※T雑さんは残念ながらリタイアされたとのことを翌日知った。こういうことがあるんだよなあ、超ウルトラの世界では。

168km(富津小)
家族のプチ私設エイド。たくさんのランナーに使ってもらったようで何よりです。ここでも先を急ぐ。

173km(小浜中継点、16:20)
目標は16:30だったので上出来。スタートから30時間20分(春は30時間)。

ジョージさん(東京、ボラ+P103km)が抱き合って到達を喜んでくれた。有難い。足は痛いが疲労は最小限だと思う。家族は近くの宿へ。ここでお別れ。次に会えるのは、うまくいけば、翌日AM10時頃、240km、平成新山。そこまで粘りたい。

小さなおにぎりと玉子焼きを食べ、入浴、休憩室(大部屋)へ。準備していた寝袋、アイマスク、耳栓。最近、山小屋で寝る経験を何回か積んだおかげで、雑魚寝で横になるだけでもずいぶん違う。2時間弱仮眠できた。着替えて準備してリスタート地点へ。

173km(リスタート、20:00、34時間)。

レイトスタートランナーも殆どが勢ぞろい。ものすごい熱気。興奮状態。仮眠効果で、スッキリ復活(足は痛い)。師匠たちとも再会して、元気をもらう。皆で抱き合い、肩を叩き合い、気合いを入れる。行けそうな気がした。強烈な高揚感があった。僕はこの場に立ちたかった。元気に立てたことに感極まった。さあ、ここからが本番。ここからのためにやってきた。どこまでやれるか、未知の世界への挑戦がいよいよ始まる。
(リスタート地点に立てなかったランナーもたくさんいるのだ)

Road to 金龍① 覚悟と準備
http://ogawanoie.jp/blog/2308
Road to金龍② スタートラインに立てる幸せ
http://ogawanoie.jp/blog/2346
Road to金龍③ 一夜目の夜間走(55km〜113km)
http://ogawanoie.jp/blog/2361
Road to金龍④ 茂木〜小浜中継点(113km〜173km)
http://ogawanoie.jp/blog/2396
Road to金龍⑤ 幻覚と復活(173km〜230km)
http://ogawanoie.jp/blog/2410
Road to金龍⑥ 覚醒そして金龍へ(230km〜276km)
http://ogawanoie.jp/blog/2423
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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。