MY LIFE

Road to 金龍③ 一夜目の夜間走(55km〜113km)

55km(布巻,18:00,8時間)
空腹のため、コンビニ補給。バス停のベンチで夜間走へ身支度。師匠北さんの弟(KH)さんたち鹿児島軍団と一緒になり、しばらく併走。KHさんは20代の頃、ウルトラをかなり走っていたとのこと。春Lは90km付近でリタイア。そのリベンジもあり、しっかり準備してきたことが伝わってくる走りとペース、気合いの入った表情だった(KHさんは兄弟金龍に!)

野母崎半島。いつもの練習&絶景コース。だが、レース中は夜間走区間。景色は全く楽しめない。全国からいらっしゃる皆さんに、昼間に走って欲しいといつも思う。

60km(高浜コンビニ)。
ここでの目標は「ハンバーガーを食べる」こと。
春Lにて、ウルトラトレイルランナーHさんはここで食べていた。僕には無理だった(苦笑)。でも、こういう場所でハンバーガーを食べきれるぐらいの胃の強さがあるとW完踏に近づくのではないかと思い、練習でも食べるようにしていた。最初に補給食としてハンバーガーを勧めてくれたのは師匠岩永さん。
理由は「高カロリーを一気にゲットできる」から。美味しく頂き、元気になった。ここで服部さん(大阪)に追いつく。以降、深夜走をかなりご一緒した。
※次のコンビニは60km先(12時間後)。夜間行動食を一部補給。

70km(権現山,20:40)
序盤の山場。展望台を往復するので先行するランナーとすれ違う。声を掛け合う。とにかく疲れずに進むというプランはひとまず順調。エイドは名物「ミネストローネ」。暖かくて胃が温まり、ほっとする。
A川パパがきつそうに座っていた。「胃がやられた」とのこと。走力は十分あるのだが、ウルトラではどうしても胃がやられてしまう。いろんな方の助言を参考に試行錯誤しているが、自分に適した有効策を見出せていない。
(A川パパは83km地点でリタイア。その後、ボラへ。これが湾岸の素晴らしい魅力の一つ。感謝)

77km(樺島大橋)
夜間走などを一緒に練習したWリベンジ中ハギーさんの奥様とご両親が私設エイド。絶品「いなり」に元気をもらう。半島の果て「ここまで行かせるか」という樺島灯台CPへ向かう。

灯台まで約3kmの登り口地点でコーセー先生とあう。先生は湾岸事務局で10年間、この大会を支え続けている。彼なくして大会は成立しない(私たちは走らせてもらうことができない)。裏方の責任者。今回は念願のW初挑戦。半端じゃない練習量と努力を積んできている。このWにかける想いが一番強いランナーだと思う(コーセー先生の重役を担ってくれたのが師匠の北さんと岩永さん)。で、コーセー先生はザックを背負っていない!ニコニコして「公民館に置いてきた。こういう往復地点ではザックをおくと楽^^」そう言い残して、ザックを背負う僕を尻目に、軽快に走って登っていった(教えてくれよ、事前に)。

樺島灯台往復でも先行するランナーと声をかけあえる。こういう場所は、それぞれ頑張っている姿が見えるので、ホッとするし、元気が出るので好き(樺島灯台は好きではない)

80km(灯台CP)
絶景ポイントだが、真っ暗で何も見えない。灯台の明かりがどれほど眩しいか、目の前で確認できる。到達感に浸りたいがパンチしてすぐに戻る。

83km(樺島公民館エイド,23:00)
名物「カレー」。師匠K井さん曰く「樺島のカレーは泣きながらでも胃に入れろ」そうしなければ、ここから先の半島の山越え、次の川原エイドまで(15km)がガス欠でもたないから。

このエイドではI井さん(北九州)がボラしてくださっていた。彼女は金龍&スパルタスロン(ギリシャ)完走者。今回、故障のため、スタートラインに立つことを断念(DNS)。代わりに、みんなにお守りをつくってくれ、ボラに回ってくれた。スタート二日前にFBで彼女のDNSを知る。彼女の投稿を読んでから帰宅途中、初めて「絶対に」完走するという境地に至る。カレーをおいしく、しっかり頂く。彼女の分まで走れないが、走れるからにはトコトンやる。


お守り。下がIさん(北九州)。上はM本さん(熊本)。彼女たちの心遣いは有難い。
なにより、お守りは、心の支えになるのだ!
ここで先行していたT中さんに追いつく。足が相当痛そうだった。こういうときにかける言葉を僕は持っていない。W完走は極めて困難な状態だった。なぜなら、内臓や睡眠不足、熱中症や脱水からくる疲労困憊は、なんらかのきっかけで「復活」があるが、故障系は痛みに耐える根性論と動けなくなる、進めなくなることに伴う関門時間との戦いになるから。
※彼のリタイア地点をメールで知ったのはここから16時間後。T中さんはこの状態からさらに80km、16時間も粘ったということ。脅威である。彼の分まで走れないけれど、あの状態から16時間も粘るなんて。僕はまだまだ行ける、行かねばならぬ、弱音を吐いてはいけない。

※今回は公民館内部を使用させてもらえるとのことで、のんびり(ホッと)できた。春は雨。外で雨に濡れながらカレーを頂いた。ボラの方々はもっと大変だったと思う。
※公民館の使用規定は20時までとか(ナンセンスだ)。

復路の樺島大橋付近にて、T田さん&Sさん(福岡,金龍女神コンビ)、すがぽんさん、伸くん(佐賀)とすれ違う。彼らのスタートは僕達よりも3時間遅れ(大会独自の走力に応じたスタート&制限時間による。速いランナーほど、スタート時間が遅くなる。一番遅いスタートは僕たちよりも14時間後!)

深夜だが友達に会えると、一気にテンションが上がり、元気になる^^超ウルトラの醍醐味、魅力の一つだと思う。

亜熱帯植物園への激坂登り。植物園前にてまさかの明かり!Z夫妻たちが私設エイド!エイドはどこも嬉しいが、とくにひと里離れた場所、深夜走での予期せぬエイドは涙が出る。カステラとホットコーヒーを頂く。胃が温まるのはホント助かる。小さな紙コップ一杯のコーヒーや紅茶、スープが、涙が出るほど美味しく、有難いのだ。

半島山越えのピークを越えて、川原への下り。ここで服部さんは先を行く。僕はのんびり一人旅。真っ暗な道をヘッドライトだけで進む。暫くして、F岡さん、Y外師匠、Hさんに追いつく。暫く併走。深夜2時、当たり前だけど、眠い。ただただ眠い。師匠の金龍語録はいろいろある。Y外師匠の言葉のうち、僕が大切にしているのは「痛みは痛いだけ」。金龍語録は俗世人にはどれも次元が違うわけですが、金龍になれるかどうかは、この金龍ランナーの助言(格言)を真に受けて、信じるかどうかだと思う。

Y外師匠にはウエアやシューズの助言も頂き、それが功を奏した。また、Y外師匠、Hさんはトレランポールを使っていた(Lでは携行しない)。膝、腰へのダメージがずいぶん違うとのこと。僕も後半、小浜中継点からのリスタートでは念のためバッグに入れて預けておいた登山用ポールを使うことにした。

98km(川原公民館,AM2:20)
予定時刻着。名物「水餃子」。美味い。シューズ、靴下を脱いで、足裏などに馬油を再塗布(マメ・擦れ予防)。足裏・ふくらはぎを自分でマッサージ。横になりたいが、そのまま寝落ちしそうなので、食べて支度を済ませて早めに出る。

ここから茂木(113km)までが一夜目の踏ん張りどころ(Lでリタイアがいちばん多いゾーン)。満月の夜。月が美しく、風も殆どなく、寒くもない。眠くてだるくて、ペースは上がらないが、夜間走の練習を何回かやったおかげで、疲労と睡眠不足に伴う倦怠感には慣れた(こんなものと思える)。

F岡さんたちと前後しながら一緒に進む。深夜、変な声が聞こえることで有名な、幻聴ではないか、と噂している場所を通過。結局「猪除け」の音楽だったのだ!

宮摺海岸で北九州のN重さん(女性)たちに追いつく。僕が知る限り、N重さんが一番努力していると思う。このWのために100kmWalkの大会にもエントリーして鍛えてきた。頭が下がる。茂木が近づくにつれ、賑やかになってきた。アンパンマンのAさんも相変わらず被っている。すごい!

Road to 金龍① 覚悟と準備
http://ogawanoie.jp/blog/2308
Road to金龍② スタートラインに立てる幸せ
http://ogawanoie.jp/blog/2346
Road to金龍④ 茂木〜小浜中継点(113km〜173km)
http://ogawanoie.jp/blog/2396
Road to金龍⑤ 幻覚と復活(173km〜230km)
http://ogawanoie.jp/blog/2410
Road to金龍⑥ 覚醒そして金龍へ(230km〜276km)
http://ogawanoie.jp/blog/2423
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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。