MY LIFE

Road to金龍⑤ 幻覚から復活(173km〜230km)

173km小浜リスタート(20:00)。
興奮状態を冷静にすべく、いつものように最後尾から。最初のコンビニで補給。次のコンビニまで20km。3時間以上はかかる。腹が減っては、戦はできぬ。とはいえ、食べ過ぎると胃に負担がかかる。僕の場合、90分から2時間おきに何か食べないとガス欠(ハンガーノック)に陥る。

Hさんたちと一緒になる。Hさんが「あ、忘れ物した!」と。何事かと聞くと「お面」だとか。ゴール時のパフォーマンス用。爆笑。面白いよな〜、このおっさん。あっという間に前後に誰もいなくなる一人旅へ。
※Hさんは203km(原城)でリタイア

187km(津波見,22:30)
予定より少し早い。が、先を考えると当初の設定が遅すぎたことに気づく。そもそも173km以降はすべて未経験の世界。前回の各選手の通過タイムを眺めたけれど、皆バラバラ。おそらく、路上での仮眠が入っているからではないかと。それでも何となくイメージしながら目標ペースを設定した。ここはトイレだけで通過。

コーセー先生に追いつく。睡魔でふらついていた。意味がわからないことを話しかけてくる。関わると巻き込まれそうなので、付き合わないことにした。
※そもそも追いつき、追い越されたりするのは、各自のペースが違うから。一緒に行こうとしてもうまくいかないのである。

H瀬(北九州)さんが抜いていった。別名「モンスター」。水辺の森スタート時間は僕より8時間後。小浜リスタート後、お腹の調子が悪くて何度もトイレに駆け込んだとか(前にいたはずなのに後ろからやってきた理由に納得)。H瀬さんは春Lにてまさかの45kmでリタイア。同じくリタイアしたK井さんとともにKIMIさんから「落ち武者」と呼ばれ(蔑まれ)、今回はリベンジ。Hさんとは、去年のリタイア会で初めて会い、朝まで走る会、朝までぐるぐるで練習をご一緒させて頂いた。いつも穏やかなのに、大好物はredbull系の炭酸エナジードリンクで、走りは熱い!
※H瀬さんも見事金龍!46時間台。総合6位。僕より10時間も速い!

時間経過とともにだるくなる。足も痛い。休憩しようとベンチを探す。が、バス停のベンチはことごとく満床!先行したランナーが仮眠していた。異様な光景である。ヘッドライトの電池も切れて交換。眠くて暗くて痛くて、立つのも座るのも「よいしょ」。手元もさばけず、何かと地味に時間をロスする。電池交換後は足元が明るくなり、ちょっぴり元気になる。T田さん&Sさん(金龍女神コンビ)に追いつく。途中ベンチで仮眠していたそうだ。少し一緒に走り、元気になる(Sさんはとくに登りが強くて速い)。

194km(口之津, 0:00,38時間)
目標より若干遅い。ペース的に少しずつやばい感じがする。名物「トマトゼリー」。残念ながら僕は苦手。白湯を頂く。平山さんたちと一緒になる。弱音を吐き始めたM崎さんに対して「小川さん、気合を入れてやってくださいよ」と言われる。「まだ行けますよ」と根拠なく言う(苦笑)。だって、M崎さん、いつも安定した走りなんだもん。
※M崎さんはここから約12時間後、243km地点、水無川大橋でリタイア

H瀬さん(69歳)も座って休憩していた。14時間振りの再会。なんだかんだ言いながら茂木から60kmも進んでいる。流石だ。その時「小川さん、ここでやめるけん」と一言。肩を抱き合い、握手して健闘を讃えた。「まだいけますよ」なんて言葉を僕はかけることはできない。「絶対完走してくれ」と激励された。時間もやばいので早めに立つ。H瀬さんの分まで走れないけれど、僕の体はまだまだ動く。次の目標は難所「原城」。9km先。

「幻覚」が見え始めたのはこの辺りからだっただろうか。バイクに乗った親子だと思ったら、ススキの穂が揺れていたり、バス停のベンチにランナーが休憩していると思ったら、立てかけてあった自転車だったり。アップダウンもない、単調な海岸線(右手は漆黒の海)。嫌なコース、嫌な時間帯。2年前&3年前のPでもまともに走れなかった僕にとって、二晩目の深夜走はさらに堪えた。

原城手前で、前のランナーについていったら、見たことがない景色。おかしいなあと思ったらロスト(道を間違えた)。10名近くで引き返して原城着。

203km(原城CP,01:50)
目標より10分も遅い。主催者・阿部さん曰く「完走条件のひとつは、原城を2時までに出発」。

足は激痛ステージへ。エイドには松本さん(熊本)がいた。いつも元気で、仲間を励ましてくれる彼女は、みんなにお守りも作ってくれた。松本さんから「すがさんと北さんの弟さんが小川さんはまだか、って心配していましたよ」と。有難いなあ。その言葉に元気をもらう。追いつけないけど、みんなそれぞれ頑張っている。

名物「中華粥」をお代わりして、胃を温めるために、さらに白湯を頂く。気温はさらに低下。強風が吹き抜けるこのエイドでのボラは大変で過酷。感謝。ここで服部さんと再会。(時間を)稼げるだけ稼ぐ、ということで服部さんは先に。僕もバタバタとたつ。次の目標は「堂崎」。12km先

ここから記憶が殆どない。一人で、寒くて、幻覚で、痛くて、眠くて、ペースがどんどん遅くなっていく。痛みのために30分から1時間おきに、地面やベンチに座り、靴を脱いでマッサージする。時間的に休憩・仮眠するわけにはいかないので、歩きとジョグを繰り返す。コインランドリーでトイレを借りる。暖かくて、ホッとする。ソファに座りたかったが、寝落ちしそうだったので諦めた。休憩している場合ではないのだ。

215km(堂崎,04:10)
ボラのA川さんがいた。ボラも二晩目。何を話したか記憶にない。ボラの殆どはランナーかその家族。大会はギリギリの少人数で回している。大会を継続するために、走りたくてもボラに回るランナーも多い。だから、僕も来年は全てボラに回ることにしている。

風がさらに強くなり、体感温度も下がる。疲れもピークアウトしそうになっていった。なんとか持ちこたえていたペースもさらにやばくなる。Pランナーが続々と抜いていく。

そんな中、田村先生が!僕が引き込んだ湾岸の世界の旅。去年Pは島原城(57km)でリタイア、今年の春M80kmもリタイア。今回は練習も積んできて、先月は一緒に試走もして、その走りは快調そのものだった。僕の大きな目標の一つが、コース上で田村先生に会うこと(追い抜かれること)だった。夢のようで嬉しかった。先生と話をして元気をもらう。記念撮影して、先を行ってもらう。先生には先生のレースをしてもらいたいから。
超ウルトラのレースにおいて、一番大事なことのひとつは、自分のレースをすることだと、僕は思う。
余談だが、Pランナーにとっては、僕のようなWランナーはゾンビのように映ると思う。

また一人になる。満月が綺麗。二晩も満月を満喫できるなんて幸せだ。若干飽きたが。寒いが準備しておいた(お金のかけた)ウエア一式をフルに使えて嬉しくなる^^低体温症でレースを諦めることはない。ただ、師匠岩永さん奨励の使い捨てカイロだけは失敗した。荷物を減らすために封を切っていたら、使い物にならなくなっていた(ダサくて一人苦笑)。
Pランナーにどんどん抜かれていく。一緒に練習した金子さんにも会えた。元気が出る。陽が昇れば必ず復活するはずだと信じて進む。が、この季節の夜明けは遅い。次の目標「深江」、その次の「島原城」まで、残り距離から今のペースで逆算すると、予定(完走ペース)を大幅に遅れることが分かってきた。これはかなりまずい。
ここでズルズルと諦めるわけにはいかない。自分でスイッチを切り替えるために、太ももを何度も叩いて気合を入れ直し、ピッチをあげ、走りに切り替えた。

224km(深江,AM6:20,44時間)
激痛をこらえながらも、とはいえ、まだ先が長いので全力を出しきらないようにセーブしながら、なんとか到着。すると、大の字で地面に寝ている人が。なんと服部さん!「服部さん、起きましょうよ、やばいですよ」「あー、小川さん」。先行したはずの田村先生もやってきた。暖かいコンビニで、のんびりしていたそうだ(ユルいなあ・笑)。何を食べたか記憶にないが、服部さんとすぐに出発。一緒に島原城を目指す。どこからか「小川さーん」の声。振り返ると車からGスポーツ店員、N下さん&W辺さんコンビが応援に来てくれていた。元気をもらう^^
とにかく島原城を目指す。目標は当初予定の7:30。頑張れば間に合う。島原城が近づいてきたところで、後ろから声が。PのY中さん&T田さん!超興奮^^

※Y中さん
みんなでハイテンション。ここでさらにF岡さんも猛スピードでやってきて、ランナーズハイに^^あっという間に見えなくなったけど、元気になった。

僕は服部さんといろんな話をしながら島原城を目指した。服部さんがしみじみと「いやー、小川さんと一緒に走れて嬉しかったです。僕はこれまで100km超のウルトラを99回完走しているんですよ。100回目の記念を、このWで、と考えていましたが、今回のW完走は諦めました。しっかり準備して2年後やります。小川さんは、必ず完走できますし、完走してください」と。「いやいや、何言っているんですか。諦めちゃだめですよ。服部さんがいつもそうおっしゃっていたじゃないですか」
服部さんは笑顔で「いや、今回はもう十分です。楽しかった。またどこかで一緒に走りましょう」と。

230km(島原城,7:32)
一時期、1時間以上遅くなりそうだったが粘って目標時刻に到着。粘れた。

ボラにはA藤さん!元気に声をかけてもらえるとホント元気になる。人の力ってすごい。リスタートする際に、服部さんを探したが、見つけきれなかった。

Road to金龍⑥ 覚醒そして金龍へ(230km〜276km)

Road to 金龍① 覚悟と準備
Road to金龍② スタートラインに立てる幸せ
Road to金龍③ 一夜目の夜間走(55km〜113km)
Road to金龍④ 茂木〜小浜中継点(113km〜173km)
Road to金龍⑤ 幻覚と復活(173km〜230km)
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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。