こだわりの注文住宅という試作品
自由設計を卒業してから2026年でちょうど10年になる。子育て優先の家づくりを掲げ、特化すると決め、自然素材を標準仕様とし、ワングレードとしたのは、それから遡ること2002年。姉が設計して、私が営業する、父が社長、母が経理・総務、ベテランの現場監督、事務スタッフという体制だった。姉が設計するといっても、施主と何度も打ち合わせを重ねて自由設計で間取り、デザインを決めていくスタイルではなく、子育ての家が約束する暮らしを叶える家を、その土地、その家族の要望に応じた形で、間取り、デザインに落とし込んでいく、提案するのは1案のみ。住宅業界で生じる様々な問題やトラブルの根本原因の一つが、施主と何度も打ち合わせを重ねて間取りやデザインを考えていく、というこだわりの自由設計にあったからです。どれほど打合せや説明を重ねても、作ってみないとわからない。究極の試作品になる。
作り手側はプロとしての経験があるので、なんとなく、わかる。でも、どこまで言っても部分的な経験しかないわけで、やっぱり作ってみないとわからない。法的にも構造的にも問題がなくても問題(トラブル)が生じる。それは何かというと「イメージ(思っていたの)と違う」「使いにくい」問題です。そりゃそうです、何をどうイメージしていたか、それはわからないし、実は本人もわかっていないのです。なぜかというと人は、その人自身がどんどん変化していく。ある時、良い、好きと思ったことが、数日後にはまた別のものに移り変わっていたりする。壁紙の色なんて、無限にあるし、どれを選んだとしてもそれを選んだのかどうかすら記憶が定かではない。なぜなら打ち合わせを重ねて変更するからです。変更するということはそれ以前に決めた、決まっていたものがあるということ。収拾がつかなくなる。これを一般には、床材、壁材、天井材、各居室ごとにやる。そして間取りが異なるので構造も異なる、屋根の形状も変わる。外壁材も変わるし屋根材も変わる。これらを組み合わせるわけですね、施主との打ち合わせで。そりゃもう大変ですよ。そこをマンパワーでやる、デジタル使って記録を残したとしても、それがもはやどの時点で、どうなのかすら、それが正しい記録なのかすらわからなくなる。
試作品になるのです、必然的に、構造的に。
当社は少なくとも自然素材ワングレードにして、外壁材も外観のデザインも統一し、部屋のサイズも基本的に同じにして、あとは配置が変わる、建物サイズが変わるだけ、というスタイルで組み合わせを変えていた。それでもやっぱり作ってみないとわからない。
子育ての家がiPhoneみたいな家にしているのは、コンセプトを具現化する、プロダクトデザイン化した商品・サービスを提供するためです。そもそも暮らしを売る、約束する暮らしがある、それは理念や哲学、思想信条に基づき創造・掲げたものであり、それがあるからこそ、逆算から商品サービスができる。
当社には建物が4タイプあります。
SS,S,M,L
どれを選ぶか(どれになるか)は、家族構成ではなく、依頼主の経済力です。自然素材と断熱性能、構造の安全性(品質)はいずれも共通です。昨今の建設費の上昇で、SSとSだけ、外壁材のグレードだけを変えています。グレードを変えると言っても見た目がちょっと違う。断熱性能に関しては、北海道と沖縄では必要な水準、規制も異なりますので、地域に応じて、となるわけです。
試作品なんですよね、こだわりの家っていうのは。試作品がよいとか悪いとかではなく、試作品だ、という事実です。
これって昨今始まったことではありません。SNSのはるか昔から、1970年代、80年代からです。施主が間取りやデザインを考え、その要望に応じて、大工(工務店、建築会社、ハウスメーカー)がつくる。プレハブメーカーだと、骨格に制限があるので、あれこれ変更したくても、構造的にできないとなる。他方、大手ハウスメーカーであっても、木造となると、究極、なんでもできちゃうわけです。なので、日本の戸建て中古住宅がなかなか流通しずらい、結局、建て替える根本原因は、この施主の要望に合わせた間取り、デザインに基づく家づくりだからです。社会インフラになりえない。構造がぐちゃぐちゃなので、リノベ、リフォームにも多額のコストがかかる。そもそも使いにくい。なぜなら試作品だから。
キッチンだけの使いやすさ、であれば、システムキッチンメーカーが試作品から製品化して改良を重ねるので、使いやすくなっていくわけですが、それはあくまでも家づくり全体から見ると、キッチンというパーツにすぎない。周りのパーツ(間取り、サイズ、動線)もそのパーツの使いやすさに影響を与えるわけです。
かくいう私も骨格は決まっているとはいえ、建築地の状況はそれぞれ異なります。東西南北、高低差、敷地の広さ、日当たり、目の前の道路に隣地(隣家とその配置、窓、デザイン)、法令制限。。。。その土地に最適化するために、あれこれ考えるわけです。約束する暮らしを叶えるにはどうすれば良いか、と。で、堂々巡りに陥ったりするんです。変更し始めると無限ループに陥っていく。とはいえ、私たちには原点がある、ゴールがある。家族が笑顔で心豊かに健康に暮らせる、安心して安全に。資金制約の範囲内で。どこへでも行っていいわけではない、言われた通りにやればいいわけじゃない。だって、私たちには約束する暮らしがあり、依頼主はそれを求めて私たちに依頼してくださったからです。
誰かのこだわりの家をインスタで見たとする、その家に超絶憧れたとする、であれば、それをそのまま建てることです。同じ土地は不可能ですが、土地の条件もほぼ同じ土地を探して。そうしない限り、出来上がったものはイメージと違う、となるし、住めば住むほど、住みにくさがわかってくるのです、思っていたのと違う、と。
そしてまたここで問題が生じる。
そもそも「思っていた」のは何か?ということ。
そもそも「求めていた」のは何か?
求めるものがコロコロ変わっているのであれば、それは求めたものが手に入ったとしてもそれは一瞬の出来事に過ぎず、また思っていたもの、求めていたものはこれではない、という無限ループの人生を歩んでいくことになるのだと思います。
私は試作品を売りたくないんですよ。味見して捨てられるぐらいの商品であればまだしも「家」ですから。壊さない限り、50年、100年、地上に、その土地に、残る。そして誰かが住む、住み続けるわけです。自然素材しか使わなくなった理由は、自分がつくった、売った、依頼してもらった家で、お客様が病気になるなんて嫌だからです。2代、3代先までハッピーに過ごしてもらいたい。それができないような家なら売らない、つくらない。ただそれだけですね。
で、設計者が、営業マンが、施工者が、相当しっかりしていると、ポリシー持ってやっていると、自由設計とはいえ、こういうことはしません、という矜持があるわけです。それは長く使っていただく家だからです。新しいものを作ることの素晴らしさをモットーにしつつ、品のない、使いにくい、自社のポリシーにそぐわない、残すに値しない仕事はしない、という矜持。これは家づくりに限らず、どんな業界でもあると思います。ただ作ればいい、ただ売れればいいというだけの商売はしない。消費者サイドもそういう作り手の矜持を見て判断する人たちの割合が増えると、いいな、と思っています。

