子育て優先の家づくり

自分がギリギリで子供の成長が楽しいなんていう気持ちすら湧かなかった~母親奮闘記~

T様(小川の家79|現 子育ての家)にお願いしていた奮闘記が届きましたので、紹介します。


1.「自分がギリギリで子供の成長が楽しいなんていう気持ちすら湧かなかった」

 

息子も3歳を迎えた。
振り返れば私と小川の家との出会いは

この長男がお腹にいた3年半前に遡る。
東京から転勤で長崎に来て4年目、

つわりのひどい私は感覚がかなり鋭くなっており、
食べ物の添加物から隣家の洗濯洗剤の香料にさえ過敏に反応していた。

当時住んでいた社宅は古く、

湿気や暑さ寒さに悩まされる日々。
つわりも相まって体中がこの環境を拒絶していた。

 

つわりが落ち着いた頃、

子供の布おむつのサイトで出会ったのが小川の家。
HPを拝見して直感でピンとくるものがあった。
面白いコンセプトの会社だなと。
しかもよく見れば長崎の会社だった。

 

「小川さんの言う事は本当にその通りだと思うのだけれど、

転勤でどこに建てて良いかも見えてこないし、新築はリスク高いな。

木の家で手頃な古民家はないかしら?」
(勿論その後探すことはできず)
とその時はそれで終わってしまった。

 

そして私は出産。
主人はすぐに長期の出張(※海外への単身赴任)に出て身内の全くいない長崎で2人の生活が始まった。

 

子育て支援など色々登録して友人達に手助けしてもらい

なんとか乗り切るつもりで頑張ったが、

病気になった私達親子の生活を

本当に支援してくれる所はどこにもなかった。

ぼろぼろになっては実家へ助けを借りる為に飛行機で往復し、

最後半年以上は力尽きて実家に滞在し、2年が過ぎた。

 

環境が目まぐるしく変わる不安定な生活に

息子も周囲に対して拒絶する様になっていった。
いつ戻るかわからない主人を待つだけの苦しい日々、

自分がギリギリで

子供の成長が楽しいなんていう気持ちすら湧かなかった。


2.「自分はどうやって生きたいのか?」

 

実家に戻っている間に

 

気分転換で学生時代の友人達に会うと、

適当な年齢になっており、ほとんどが家を購入済。

 

今年(2009年)の年明け

 

「いつか戻る可能性があるなら東京近郊で家を考えたら?」

という友人の一言でとりあえず私の家探しが再開。

 

息子を抱えて待っているだけの自分に嫌気もさしていた。

 

勿論、戻るあてもないのにすぐに購入しようというつもりではなく、

あくまでも市場調査のつもりで。

 

覚悟はしていたもののマンションでも駅近くになると

目が飛び出る様な価格。

 

戸建てとなれば狭小地に3階建ての細長い家が

隣とスレスレに立ち並ぶ有様。

 

それでも共働きで一生頑張って頑張って

手に入れられるか!?という現状。

 

もともと日当りの良い風の通る家であれば

狭くて構わないというのが私達夫婦の考えだったが,

 

どれに投資しても、どれも満たされそうにない。

 

そんな折、たまたま実家の近くで自然素材の売家を訪れる機会があって、

今までの家とはあまりに空気が違うことに驚き(価格にも驚き!)。

 

頭の片隅に覚えていた小川の家を思い出す。

小川の家と出会いから、3年の月日が流れていた。

 

私は物に対してかなり慎重なので、

 

価格がどうあれ、ピンとくるものが滅多にない。

でもその私がピンときた。(笑)

 

身内に建築関係もいて自然素材が良いという事も認識していたし、

シックハウスや化学過敏で病院や家を転々としている

 

友人知人も実際に身近にいたことも手伝った。

 

でも何よりもHPににじみ出る誠実さ、

営業しない姿勢、

考えつくされた設計、

 

誰にでも手が届く様に考えてくれる自然素材の家を作る会社は

他を探そうとういう気にさせなかった。

 

正直、数日前までは実家の徒歩圏内で全てが手に入る暮らしは便利だし、

支援センターや児童館も選べる位沢山あるなと、

 

長崎に帰ることすら心が揺れていた私だが、

HPを読み返して私が求めている環境はここではない事を思い知らされた。

 

それでもやはり長崎に家を新築する勇気があと一歩出ず、

2月末に実家から正直に相談のメールを出す。

 

小川さんから

 

「先の事など誰にもわからないし、わかる今の現状

(自分達にとっても良くない環境で子供はどんどん成長してしまう)

を第一に考えて下さい。」

 

という趣旨の返信をいただく。

 

わかってはいたけれど、誰かに最後背中を押してほしかったので胸につきささる。

 

自分はどうやって生きたいのか?と自問自答した。

 

この環境でただいつともわからない転勤を待つだけの、

主人を待つだけの生活は終わりにしたかった。

 

自分達で生活を実現しに行かなくては一生後悔すると考えた。

 

転勤族につきものの売るとか貸すとかだけの一般的な視点で家を考えるのは止めようと心が決まった。

 

メールで出張先の主人に打診。

 

主人とは今まで考える方向が違うことはなく、

きっと大丈夫という確信もあった。

 

4月に長崎へ出張から戻った主人と合流してすぐに体感を申し込み、

主人も転勤がきたらその時考えようと決断してくれて小川の家づくりが始まった。


3.「私も解放され、息子も解放された」

 

しかしながら、

合流した私達に待っていたのは

息子のさらなる周囲への拒否反応。

 

事務所に入ることはおろか、

車からも降りずに泣き叫び、

事務所の打ち合わせに同席することはなく。

 

会社から帰宅する主人とも話す時間すらなく、

投げ出してしまいたい位辛かったが、

 

それでもこうして家が出来上がったのは、

小川の家のバックアップのお陰である。

 

色々悩んだり諦めたりした部分もあるが、

(小川の家の)熱い説得にかける思いで

最終的に場所も大きさも設計もお任せする形になった。

 

今住んでみると、

さすが考えつくされたプロの仕事である。

 

暮らしてみて、

こんな次元の生活があったのだともう驚くばかりである。

 

途中で諦めたり、投げ出さなくて良かった。

 

転勤のリスクなんて生活のリスクから比べたら、

もはやどうでも良い気がした。

 

特筆すべきは千代の幸。

 

自然と調和した街並、

HPで「本当に!?」と思った”目と手を離して遊ばせられる環境”は真実だった。

 

あんなに家に他人が入るのを拒否していた息子が

引っ越して3日目で友達を家に迎え入れ、

 

事務所の周りに虫をおいかけ、どんぐりを拾い、

千代の幸に住むお兄ちゃんお姉ちゃんと駆け回って遊んでいる。

 

そんな息子を見て本当に嬉しい。

息子の変化に私もだが周囲も驚いている。

 

私も解放され息子も解放されたのだろう。

 

そして周囲のみなさんの温かさが

とても新しい地に引っ越してきたとは思えない。

精神的に私も安定することができた。

 

この場所と巡り合えた事は我が家にとって本当に幸運だった。

 

主人を動かすということに私は奮闘することはなかったので

多くの方の参考になるかはわからない。

 

唯一主人には我家の現在の経済状況と将来予定を簡単に表にして話をした。

 

私達の為に大きな決断をすぐにしてくれた主人には、

深く深く感謝している。

 

子供の為も勿論あるが、

自分が駄目になってしまいそうで

何かを変えたかったというのが突き動かした最大の要因である。

 

私が元気でないと、子育ても楽しめないと考えた。

 

私は回り道をしてしまったが、

迷っているなら悩んでいるなら実現の為に何か行動してほしい。

 

万一があっても無理のない範囲で建てる小川の家だから。

万一があっても手放したくない程次元の違う生活だから。(笑)

 

最後になりましたが、

小川の家の皆様、

施工関係の皆様に心より御礼申し上げます。

私達に合う設計をして下さり、

丁寧に施工して下さった家を

愛着をもって手入れしていきたいです。

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。