構築
【おいしいところだけつまみ食い】
という生き方がある。
果たしてそんなことが現実にあり得るのだろうか。
仮に「つまみ」食いしたとしても、
それは所詮、一瞬、目先の表面的な満足に過ぎず、
「人生の根底からうまみを味わい続けること」
にはつながらない。
近頃の相談の底流に共通する傾向として、
この【つまみ食い】的な思想・生き方を私は感じずにはいられない。
「子どもの健康が何より大切です」と言いながら、
「それが手に入れば納得・満足しますか?」と問うと、
「いや、○○がなければ現状維持」を選択する。
○○の内容は、子どもが心身ともに健やかに育つかどうかに無関係の要素である。
「小川の家に住みたい」とおっしゃってくれるのはありがたい。
その根底は、小川の家で暮らす家族と
自分たち家族をリンクさせているからだと思う。
「我が家もこんな住環境(今日・明日を過ごす)ではなく、
あんな住環境(=小川の家)で子育てしたい」と。
想い描く暮らしを得るには、そこに至るプロセスの構築がある。
小川の家づくりは、姿勢、優先順位、考え方、行動など、
果実収穫に欠かせない、目に見えない過程、ステップがある。
その階段を飛ばして、果実だけ得ることは不可能なのです。
というか、
家族が心豊かで健康に暮らせる住環境を得るには、
我が子にイキイキ育つような環境を与えるには、
それなりの構築が必要不可欠です。
こっちの日常から
あっちの人生へ。
眺める、羨む、願うという意味において、
「つまみ食い」は可能だが、
我が家の人生にしていくには、
大切なモノは何かを常に問い、
それを最優先して大切にするしかない。