義務:読書
趣味:読書
と言いたいところですが、昔から国語NGな私は、読書が苦手です。
昨日は書店で1時間ほど物色した後、5冊ほど購入し、うち1冊をスタバで1時間ほど熟読。
書店は楽しい。あれもこれも欲しくなるような、読みたくなるような本がいっぱい並んでいる。そんな素晴らしい空間をつくりあげている本を読む、ということがどうして苦手というか、イヤな印象を持ってしまったのだろうか。
作者が言いたかったことを60字以内にまとめなさい
一生懸命まとめたつもりでも、戻ってきた答案用紙はいつも真っ赤で大きな×印の数々。私には読解力が全然なかったのです。
読書感想文を書きなさい
’感想’文にも関わらず、点数がつけられる、優劣を決められることに、幼少(高校生になっても)の僕はどうにも納得できなかった。理由は単純で、いつも冴えない点数・評価だったからだろう。
古文・漢文の訳(解答)は、僕が理解した内容とはいつもまったく違っていた。
そうこうするうちに、読書は避けるようになっていました。
どうせ読んでも僕には分からないから。
そんな私が本を書くなんて、不思議です。
伝えたい’何か’があり、それを表現する一つの手段が文字・文章です。
作者としては相手に意図が伝わったかどうか、というのは受けての判断ですから、それについてどうこう考え、評価することではないと思うのですが、現実の社会、少なくとも国語の授業では、深く掘り下げることもなく○×がつけられてしまう(笑)
私は週に4日程度、ジョギング(4km~6km)しています。
これは別に走ることが好き、なわけではありません。いつまでたっても’走る喜び’が私の性格上味わえません(笑)。でもなぜ走るのかというと、健康管理とクライミングのためだけです(笑)
読書もおそらく趣味にはなりません。本を読んでも楽しくならないのです(笑)。相変わらず、活字は苦手。知識も少なく、読めない漢字・熟語が多く、ことわざなど出てきたら、飛ばします。そこで辞書の引いていれば、私の偏差値はもっと高かったでしょう。某総理のことは笑えません。
でも以前と比べてよく読むようになりました。
その理由は、学ぶこと、知ること、考えることの重要性・必要性を認識したからだと思います。いろいろな人の知識や思考、情報から自身の判断材料を得る。そのための読書。
だから私は考え方というか、とらえ方を変えました。
義務:読書
義務:ジョギング(健康維持)
に。
ということで、今日は一日、読書です。