MY LIFE

橘湾岸スーパーマラニック春のステージ~ボラ40時間の旅~

5/4-5
出島をスタート地点として、小浜まで
S55km,M80km,L173km,E217km計4部門に、全国から500名超のランナーがそれぞれの限界に挑みました。
私は今回はボランティアとしてランナーのサポートに回りました
(昨秋、金龍ランナーにさせて頂いたお礼とご恩返しです)

私の担当は収容班。
途中リタイアしたランナーをマイカーで迎えに行き、拠点エイドやゴール地点に搬送する係。
空いた時間は何をしてもよいので、エイドのサポート、そして、自ら「ハイタッチ」係を任命し、カメラ持参で、ランナーを応援しました。


自宅前で、家族で私設エイド^^近所の子どもたちもボランティアしてくれました。
ランナー曰く「癒されたあ」そうです^^

以下、備忘録。

リタイアするということは
そのランナーが極限まで到達したということ。

収容車がくると、ほっとする。
場所によるが、真っ暗な中で1時間以上待つケースもある。
車に乗ると同時に、悔しさやいろんな想いが込み上げてくる。

リタイアの電話をするまでには
その数時間前から苦しい戦いが続いている。
その気持ちというかその状態、経験者なのでよくわかります。

<準備①>
・車のシートにはカバーをかけ、ランナーが汚れを気にしなくていいようにする
・安全運転を心がける

<準備②>
リタイアとは別に、巡回中やエイドでランナーの体調不良や怪我に遭遇したことも考え、
自分の経験から以下のものを準備し、車に積んでおいた。

①低体温症対策
シュラフ(山岳用で氷点下7度ぐらいまでしのげる)
ダウンジャケット
ウインドブレーカー(いつでも貸せるように)
白湯(サーモスのボトルに)

②夜間走の安全対策
ヘッドライト(電池切れの方などに貸せるように)
反射タスキ
チカチカライト

③内臓疲労(食べ物、飲み物を受け付けない)
白湯
ストッパ下痢止め
胃腸薬

④脱水症状(足がつる、痙攣)
塩分系タブレット
経口補水パウダー(いつでもつくれる。渡せる)

⑤補給食
パワージェル数種類

⑥怪我、故障、マメ、擦れ
テーピング
絆創膏
ガーニーグー
馬油
傷パッド
軟膏

⑦休憩
椅子

<準備③>
収容班はお呼びがかからない時には何やってもいいので^^

⑧ユーモア・元気
ハイタッチ係
カメラ

※車には「収容車」という大きなステッカーを貼ります。
元気に走れている時のランナーにとっては、その車両がコース上に止まっていて、
私が立っていると、その存在は「見たくない」わけです。
「え!収容されるの?」と思ってしまう。
ですから、シャレで「ハイタッチ係」というダンボールをぶら下げ、
カメラを構えると、皆さん笑顔になる。
※大会3日ぐらい前に伊王島を試走していて思いついた^^

今回初めて設定されたEコース。
その前半の関門時間の厳しさは、自分が試走してよくわかっていたので、
逆に、なんとかして、ランナーのシリアスさを軽減できないかな、
と思いました。
なぜならこれはマラソン大会ではなく、橘湾岸マラニックだから。

また低体温症のリスクに関して、
私の週末のジョギングコースが伊王島、野母崎半島、茂木であり、
四季折々一人で走っているので、その気象条件の厳しさと変化の早さを身をもって味わっています
(妻にレスキューしてもらったことが何度もある)。
走れるうちはいいのですが、急激にやられてしまうことの怖さ、
エスケープする場所がないこともわかっています。

二日間を通じて、これは準備しておいたほうがよいのではないか、と考えていた
・シュラフ
・白湯
・脱水対策
・テーピング
は、結果的に「ここぞ」という時に役に立ったので、よかったです
(出番がないほうが一番いいのですが、そこは超ウルトラですから、必ず何かあるわけで)

あわせて、笑顔になれるかな、と思って準備した
・ハイタッチ係プレート
・カメラ
が功を奏してよかったです^^

<声かけ>
灼熱のじゃがいもロードでの声かけも
・ナイスラン(歩いているし)とか
・ガンバ(頑張ってるし)とか
もう声かけするのもなんだかな

「ゴールが見えますよ!」(まだ30km弱残っているんですけど)

と言ってみました。

なぜなら、海の向こうに、ゴールの小浜が、島原半島普賢岳が、見えるから^^(嘘ではない)

皆さん、きついのですが苦笑いして
「確かにー^^」

さらにL部門(173km)の方には

「振り返ってみてくださいよ、あんな遠くから(樺島灯台が見える)、ここまで来たんですよ」と

で、最後に

「ラストスパートはまだですよ!」

ここまでいうと、皆さん笑顔で進んでいかれました。

※どなたか存じ上げないのですが、こういう笑顔がもらえるって、ボラ冥利に尽きます^^

<収容車内での会話>
いろんな思いが込み上げて来る方は多いです。
怪我や故障、体調不良のこと。
親族との別れなどなど。
疲れ切って、ほっとして、爆睡する方も多い。

収容班としての最後の仕事は
千々石の海岸線で、最終ランナーを収容すること。
S55km、初挑戦の若い女性でした。車の中で

大会では10kmまで、練習では30kmまでしか走ったことがなくて、
挑戦したんですけど、ダメでした。
一週間前に体調崩して、、、それでも薬を処方して、
スタートラインに立ちました。
もう少しできるかと思っていましたけど、甘かったです。
悔しい、悔しい

と何度もおっしゃっていた。

で私のことを話ました

実はですね、私も7年前、湾岸S55km初挑戦で、
まさにこの場所で、リタイアしたんですよ。
ハーフもまともに走れないのにトライして。
歩けばゴールできると思っていたんですけど、
歩けなくなるんですよね。なめてました。
それから湾岸を完走したくて練習するようになりました。
少しずつ距離を伸ばして、おかげさまで昨秋、
金龍ランナーの仲間入りもさせてもらいました

※金龍ランナーとは橘湾岸スーパーマラニックW276km部門の完走者に贈られる称号

あー、そうなんですね。
なんだか救われました。
必ず来年挑戦します

ラスト3km
小浜の国道に出る。
車の窓を開けて、声をかけます。
最初は、ガンバ、ラスト、だったのですが、
自分で言いながら、それもなんだかなあと思って、

おめでとうございます!

という声かけにかえました。
なぜなら、ここまでくると、完走ですから。

すると皆さん、
苦悶の表情が
笑顔になるんですよね。

まだゴールしてはいないのですが、
たしかに、もう完走なのです。
おめでとうなのです。

きついのに、
通り過ぎる私の車に手を振ってくれます。

言葉の力ってすごいですね。

完走した人にしか見えない景色があるように
リタイアした人にしか見えない景色がある。
ボラにしか見えない景色がある。
私はどれも好きですねー

※E217km部門完走者、パイオニアランナーとなったH瀬さんと

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。