理性が欲望を自ら増大させることもある
頑張って読んでいるんですけど、ほとんど理解できずに、ほとんど前進しません。でも、ときに、うなるような一節に出会うことがあります。
「理性が欲望をみずから増大させることもある」
子育て優先の家づくりにおける難所、つまり、今の住居と暮らしから脱却したいと思いつつ、望む暮らしが何一つ叶わない最大の理由の一つは「自らの要望に際限がないこと」にある。
Aが手に入るとわかったら、Bが足りない(から不満、不十分、納得できない)、という。だから、なにも決断できない、しない。その結果、現実はどうなるかというと、Aすら手に入らない。なにも手に入らない、なにも解決しない、それどころか、時間経過とともに、経済力は落ちていく。
そういう場面に向き合う度に
「人間の欲望にはきりがない、これは人間の本能だ」とばかり思っていました。
でも、この一節に出会い、いろんなことが腑に落ちた。
相談者や依頼主は、いろいろ真剣に考えて、まさに理性をフル動員して、自らの要望というなの欲望を増大させており、その結果、ハッピーになるかといえば、逆に、苦しむことになる。自分の理性で、自分だけではなく、家族の、なにより我が子の首を絞めることになる。
状況が改善しないのは、家づくりが具体的に進展しないのは、本能的な欲望よりもむしろ、自らの理性に基づく欲望ではないか。算盤はじきすぎる、損得勘定が先立つ、足元をみない、理性。
人間の本能、親の本能、母性の本能に従えば、住まいに関して、そんなに要望という名の欲望がわきおこってくることなど、ないとおもうんですよね。
問題を解決したければ、理性ではなく、本能に基づくほうが、うまくいくのかもしれないですね。