決着をつける
7月末、とある出来事を機に、
「決着をつける」をmy方針にしました。
要するに
諸々、細かく、慎重に、丁寧に、
いろいろ考えてという大義の元に、
思考と紙面とネットとパソコンの前で、
熟慮したところで、行為、行動を伴わなければ、
詰まる所、それを堂々巡りというのである、と。
前進するために、問題を解決するために
思考しているわけです。
細かく段取り組んでいるわけです。
でも、よくよく考えたら、
世の中、日々変化していて、
自分も周囲も経済情勢も
依頼主もその家族、めまぐるしく変化している。
ある時点では、よさそうな解であっても、
次の瞬間、また別のもっとよさそうな解がないかみな、思考するわけです。
どこかでケリをつけないと、
まさに堂々巡り。
堂々巡っている間に、何か得ているのかと言えば、
いやいや、かけがえのないものを失っている。
いや、消費している。
そうそれは「時間=いのち」
時間といのちの消費は
支払いが発生するわけではないので、
リアルに気づかないわけですが、
時間というかけがえのないもの=人生を
実際には堂々巡りという何の生産性もない行為に浪費、消費しているわけです。
無意識のうちに。
これって、ヤバくない?
熟慮して、といえば聞こえがよいし、賢明そうである。
しかしながら、ネットで、雑誌で、資料や書籍で何がしか検討している段階で、
もう十分熟慮しているわけです。
次のステージは、熟慮することではない。
決着をつけることなのです。
時間は有限、かつ、
ゼロに向って減少していくばかり。
思考が2巡目に入ったら、
それはもう堂々巡りの始まりであり、
決着のときなのだ。
「決着をつける」を意識したこの1ヶ月。
驚くほどいろんな課題が解決し、
次のステージへ進展しています。
ひとつひとつ目の前の課題に決着をつけることこそが、
明るい未来へ道。
今日もいくつか決着つけました。
明日もいくつか決着つけます。
では明日!