介護は「サービス」なのか?
先日TVで介護特集が放送されていました。
全編見たわけではありませんし、内容や実情云々はさておき、介護「サービス」という表現に違和感を覚えます。
何かと頻繁に使われるようになった「サービス」という表現
行政、介護、医療、教育、子育てと私たちが生きていく上で必要不可欠なものに対して「サービス」という言葉が当然のように使われることがどうもイマイチしっくりきません。
介護、医療、というくると年金です。
ついに私にも「年金定期便」が36歳の誕生日を前に届きました。
※老齢基礎年金と老齢厚生年金はもちろん、年金支給額の算出方法など恥ずかしながら始めて知ることばかり。働き始めてから13年間で既に数百万円を年金保険料として納めていたようですが、いくら収めたのか始めて知りましたし(苦笑)、これからの所得に関しても多くを期待できませんので、おおよその試算が可能です。
本題のサービスという表現についてですが、これは単純に「お金をより多く払えばより良いサービスが提供される」ということです。しかし、憲法で保障された健康で文化的な最低限度生活を営む権利に関する内容・程度は果たして「サービス」と言えるのでしょうか。
私がこの10年掛けて培ってきた「子育て優先」の家づくりの仕組みというのは、その根本に「健康で文化的な最低限度の生活が営める住宅」であれば、日本であれば、必ず実現する(提供できる)はずであるという信念に基づいています。
健康で文化的な生活とは、家族の心豊かで健康な暮らしであり、子どもが健やかに育つということだと解釈しています。
小川の家は資金力のある家庭を対象としてはいませんが、かといって、お金の使い方が雑だったり、身の丈以上のものを求めたり、子どもの心身の健康を優先しない家族でも手に入るようにはできていません。
本投稿は話題がぶれまくっていますが(笑)、介護サービス×年金×住環境を考えたということです。
受取年金額の試算結果を認識すれば、定年までに住宅ローンを終わらせることはもちろんですが、自分の家を持たない場合、年金から家賃と介護「サービス」費用を払い続けなければならないかと思うと、その暮らしの質は容易に想定できます。
現代社会は「なんとなーく、不安」を見せつけられがちですが、我が家の置かれている状況を一つ一つ確認していけば、事前に対処できることがたくさんありますし、それを解決しておけば「安心」な人生につながるはずです。