理想とは煩悩の固まりではない。
なかなかお腹いっぱいの3連休でした^^
土曜日:伊王島ラン21km+午後は仕事と大学院のレポート
日曜日:子どもたちを義父母に預けて、妻と天神へ
月曜日:LSD3時間で、自宅から野母崎の亜熱帯植物園まで25kmラン+夜はランタンへ
連休中、遊び倒して、
仕事&学業モードに切り替わった昨日。
いろんな案件を諸々考えていて、
ふと思い至ったのが
「理想は叶うが、煩悩の固まりは叶わない」
理想は叶える道があります。
なぜならば、「理にかなった想い」だから、です。
実現への道のりは、
多くの方々の理解と協力の道のりでもあります。
「理にかなった想いとそれに基づく行動」であれば、
周囲も協力してくれますし、きっとたどり着く道がある。
一方、
理想を言えばきりがない、、、と言いながら、
妥協したくない、と要望を列挙する夫婦もいる。
客観視して、理想でも要望でもなく、
単なる煩悩の固まりではないか、と受取られてしまうと、
実現への協力者がいなくなっていく。
近寄ってくるのは、怪しい業者たち、、、
理想が実現しないのは、
その要望が理想ではなく、煩悩の固まりだからなのかもしれない。
なぜなら、理想を構成する要望同士に整合性がないので、反発してしまう。
自分(夫婦)にとっての要望同士がケンカする、足を引っ張り合う、
業者やお金の問題ではなく、心の問題=優先順位が最大障壁だから、
やっぱりうまくいかない。
よく言われる「理想が高い」というのは、
客観視すると「煩悩の固まりが大きい」ということなのかもしれません。
当人にとっては理想が「高い」という認識はもちろん、
それが煩悩の固まりだとは、夢にも思わないわけですが。
理想というのは、要望を全部足し算した状態ではないと思います。
一見良さそうに、何でも叶うみたいな話というのは、
やっぱり種も仕掛けもきちんと存在して、
行き過ぎると「虚構」や「騙し」の世界であり、結局、
・問題は何も解決しない(要望のうちの一つすら、叶わない)
・騙されたー
・後悔したー
・時間の経過とともに「不平・不満」が生じてくる
となっているような気がします。
目の前に湧き出てくる要望、願望、欲望が
理想なのか、それとも煩悩の固まりなのか、
その判断は難しいわけですが、
要望を書き出して、壁にはって、
目的地を決めて、順番をつけていく
これしか手がないような気がします。