MY LIFE
父と娘の哲学対話「わかるってどういうこと?」
娘の迎えの帰り道、車中にて。
学校で「分かるとは?」という課題レポートの提出があり、自分のクラスではなく、友達のクラス(探求学習的なコース)で、友達から相談を受けたと。
娘によると、事前にきちんとした指導・授業がないまま、最後はいきなりレポート出せ、と。友達が困惑しているし、相談される。自分も考えてみるけど、どうすればいいのか、と。
それから20分、車の中で、娘との哲学対話が始まる。
ちょうどこの本(父と子)を読んでいたこともあり、似たようなテーマが出ていた。
パパだってわからんがな、と。そして、まず、このお題は、何か一つ解答(正解)があるわけではない、これが哲学、という話をした。1+1=2、英語や社会のテスト問題のように、正答があるわけではない。
あれこれ話す。娘の考えも聞き、それに対して質問したり、僕も当然考える。
自宅に着くころ、「〜がわからない」ってナナちゃん、よく言うじゃん。それはつまり「わかる」ということがわかっているからじゃね?「わかる」ということを感覚的に言ってる。
数学の問題の解き方がわからないというときの「わかる」と相手の気持ちが「わかる」というときの「わかる」は概念的にちがう。解き方がわかった、と思っても、やってみたら、解けないと「わかっていなかった」となる。
相手の気持ちがわかったと思って、こういうことだよね、という行為をすると、「全然、わかっていない」と言われることってあるじゃん。
「パパはナナのこと、全然わかってくれない」とか。
自宅の駐車場について、車を降りると、空は星空。超キレイで、星について娘が解説してくれたけど、僕はオリオン座しかわからない(知らない)。
娘にはこういうときこそ「14歳からの哲学」だよ、と。書籍を紹介する。以前も紹介したけど、今なのだ。
ちなみに、学校の授業で「わかる」について哲学対話のレポート提出を課題として出しているけれど、娘に聞くと、その前段で、哲学に関する書籍の授業はやっていないと。
娘には「わかるということがわからないということがわかりました」という1行レポートを書いて、出せばいい、と伝えたら
「それでいいのか?」と。
「だって、一生懸命考えてみて、時間(提出期限)がきたわけで、何か出せと言われたら、そうなる。そうしかならない。そもそも2000年以上前から、賢人たちが、あーだこーだと議論を続けているテーマに、1週間で一つの答えを出せるわけがない」
それが哲学だし、指示した先生への哲学対話を投げ返すことになるから。
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小川 洋平、田村馨、他15人
2024.02.08