水たまりを避けて通るようになったのは、いつ頃からだろうか。
土砂降り続きの長崎です。
梅雨ってこんなに降ってたか?
と思っていると、やはり歴代記録更新中の様子。
雨だから、走りに行けない。
○○だから、××できない。
まあー、確かにそうなんですよ。
自分に言い訳するんです、「私のせいじゃない!」ともっともらしく(笑)。
※誰も指摘しないですよ
「それは関係ないでしょ。責任転嫁に過ぎない!」なんて(笑)
わざわざ相手から嫌われること、言っても得しない。
姉は、雨の日も朝ジョグしているみたいです。
父(74歳)も、合羽着て走ります。
私は、天気と気分と体重次第です(苦笑)
昨日、雨が上がったすきを見て、いつものコースへ
うっそうとした山、竹林の中に、サイクリングロードが21k続きます。
私は3k~5k地点まで、その日の気分や目標で往復します。計6~10k
アスファルト舗装された幅員3m弱の道ですが
樹木、枝、落ち葉、泥、水たまりがずっと続きます。
蛇、鹿、ミミズ、足元注意です
土砂降りの後だったので、かなりの水たまりがありました。
ペースダウンして、あんまり濡れないように、避けて通る。
ふと思いました、
水たまりを避けて通るようになったのは
いつ頃からだろうか、と。
なぜかというと、わが子3人、水たまりを見ると、喜んで入っていく。
長靴かどうかなんて関係ない。何より、楽しそう。
親は「汚さないでくれ」と思うわけです。
いろんな方(事情はそれぞれ)から、相談を受けます。
「子どものため、家族のために、小川の家に住みたいのですが、どうしたらよいですか」
その次には大体こう続く、○○だから、できないのですが・・・
○○に入る理由(事情)は、多くの場合、他者、他欲のこと。
例えば、夫、実家、自分が享受している便益
故に、相談者が知りたいことは
○○を解決するには、どうしたらよいか、となる。
私が伝えることは
問題(ネック)は○○ではなく、
あなたの××の問題です。
雨だから走れないのではない。
雨でも走っている人は身近にいる。
※走りたくない、が適切
赤ちゃん誕生まで、
わが子の命、健康、意欲を何より大切にしていたはずなのに
元気に生まれてきた途端、
彼らがイキイキ健康に育つ環境を整えることは、後回しにされる。
○○だから、できない、と。
ハイハイさせない親、いますかね?
ハイハイとは、成長意欲です。
同じように、幼少期に、
走り回って、歌って踊って遊びたいというのは、
ハイハイ、寝返りと同じ、成長意欲です。
遊びじゃなくて、生きる意欲です。
その意欲を奪うような住環境を与え続けて、
本当にいいんでしょうか。後悔しないのでしょうか。
そもそも望む暮らしは、そういうことだったのでしょうか。
小川の家が提供するのは
「理想」の暮らしではなく、
子どもをのびのび健康に育てるという
「当り前の暮らし」だと考えてやっています。
なぜなら、子どもがのびのび健康に育つこと=理想、ですか?
僕は必須だと思うんですよね、そこに向かって親が努力する事は。