ペットとして、家族として、子孫として
被災地で飼っていた犬や猫の保護について
「ペット」と捉える人もいれば
「家族」と捉える人もいる
ジョギングコースで、
いつも犬の散歩をしている方が何組かいらっしゃる。
彼らの(犬への)接し方を見ていると
ペットではなく、家族なんだというのが伝わってくる。
私は仕事柄、多くの子育て夫婦と接する。
接すると言っても主に二つあります。
ひとつは、マイホームや家づくりについての専門的な説明
もうひとつは、その家族の生き方について
後者に関しては、時に踏み込んで質問し、事情を伺い、
話し合い、こちらの考え方を伝える。
考え方とは、優先順位であり、姿勢です。
冒頭の犬猫の話に戻すと
「しょせん、ペットでしょ」なのか、
それとも
「ちがいます。家族なんです!」なのか
私が向き合う現実課題について話すと
「わが子でしょ!」と問えば、
「いや、しょせん、ペットなんです」
という意味合いで返ってくることがある
もちろん、自分の子どもを「ペットです」という親はいない。
しかし、現在進行形のその子の命の扱われ方は、
餌をやる、かわいい服を着せる、欲しいモノを買い与える、状態です。
親として自らの何がしかをその子を、子孫を、
心身ともに健やかに育てるためにささげることは、基本、しない。
なぜならば、「ペット」だから。
これはもう感性のちがいなので、
「ある行為」について、「あり得ない」派と「当然」派に分かれるのです。
同じサイト、資料、建物や雰囲気について「共感」しても
その後の判断や生き方はもちろん、
現在の暮らし方(お金の使い方)は勿論
「共感以前」の生き方もまったくちがっていたりする。
どこでどう「共」感したのか、
自問自答をくりかえす私にとって
永遠のなぞでもある(笑)
でもですね、小川の家に「共感」するということは、
心の奥底は、共有できるもの(=大切なもの)があるはずだと
私は信じています。
だからご相談頂くと、ご縁と思って、大きなお節介を尽くす。
ただ、根本的な課題があります。
それは「子ども時間」です。
いますぐ、じゃなくてもいいんですけど、
人間としての人格形成の時期である
「かけがえのない幼少期」をどこでどう過ごすかという問題は
38歳の私が40歳までどこで暮らすかということと
与える影響の次元がちがうわけです。
※放射線について、子どもを、子孫を守ろうというのと同じ
子どもが大きくなってしまってから、
子孫を滅ぼしてから、
子育て優先を選択しても「時すでに遅し」ですから。