欲しいモノと大切なものの「ちがい」
毎日、いろんなことを考えます。
なぜかというと、私が直面する現実の課題が、
そうさせるから、という至ってシンプルなものです。
AはBだと思っていたことがある。
ところが、実際には、AがB’なら誤差で修正・調整できますが、
AがCとかじゃなくて、Aが1とかだったら、どうにもなりません。
早い話、
好みの問題ではなく、
次元のちがいです。
例えるならば、
cmとmは、単位はちがいますが、同軸です。
ところが、cmとgのちがいは、
長さではなく、重量の話です。
小川の家は、住宅建築会社ですので、
私たちがお客さまに提供するのはモノです。
しかし、そのモノの本質的な価値とは、
安全×快適な住宅だけにあるのではなく、
その先というか、それ以前というか、
そのモノを通じて提供される「暮らし」にあります。
提供する「暮らし」という価値があり、
それを叶えるために「家」というモノがある。
暮らしとは、
子どもがイキイキ健康に育つこと
家族が心豊かで健康に暮らせること
この2点
既にこの2つを大切にしている夫婦が、
よりよい人生を歩むため
幸せな家庭を築いていくために
→踏み込んで話し合い
→覚悟を決める
→行動する(診断・体感・面談)
→小川の家を注文
→現住居から引越す
→今まで通り、
あるいは今まで以上に
家庭と家族の心身の健康を大切にし、
よりよい人生を歩んでいく
欲しいモノであれば、カネさえ出せば手に入るし、
お金が不足すれば、手に入らないだけ。
しかし、大切なものとは、当人の姿勢と判断、優先順位の問題です。
お金の問題は、程度問題に過ぎない。
欲しいモノが手に入らなくとも、不幸ではない。
現代の日本社会においての不幸とは
大切なものが「ない」状態ではないでしょうか。
かけがえのないものを大切にしなかったことで
取り返しのつかない事態となり、
悔みながら生きることではないかと思います。
多様化ではなく、
多元化した生き方を痛感する日々。
子どもの、家族の、
心身の健康をなにより大切にする
家庭を大切にする
そういう家族のお役に立ちたいし、
わたしも、小川の家も、
そういう家族のお役にしか立てないことを再認識した週末でした。
よくよく考えてみると、
「欲しいモノにはきりがない」ですが
「大切なものは限られている」わけです。
優先順位を考えると
大切なものを大切にして、
余力に応じて、
欲しいモノを足していく。
あたり前といえば、あたり前ですが、
実際には、順番が逆になる場合が多い。
欲しいモノにはきりがないわけだから、
大切なものを大切にする余力など、あるわけない。
心も体も病んだ子どもや母親が増えるのは、必然です。