大切DNAの有無
小川の家づくりとは、
家族の、子どもの命を
何より大切にすることを
実践するプロセスです。
「小川の家を建てないことが
子どものいのちを大切にしないことには
ならないと思いますけど」
親がわが子の命を奪わない限り、
命を大切にしていないとはいえない。
かといって
例えば
・幼子の前で、タバコをぷかぷかしている父親・母親の行為
・カビだらけの住居で子どもを育てる行為
・自由に外遊びできない住環境
・騒音、振動、深呼吸できない大気
子どもの命を大切にすることを
最優先して選んでいない住居を
子どもに与え続ける考為が
「わたしの命を大切にしてくれる親」だと
子どもが認識するかというと、
あり得ないと思う。
なにが大切なのかを問い、
それを大切にせずに、
されずに育った人間は、
自らが育てる側に立った時にも、
大切なことがなんなのか、おそらくサッパリ理解できない。
要するに、
本質的に何かを大切にするという概念そのものが
人格の中に欠如しているとしか判断せざるを得ないときがある。
逆に、何だかんだ言っても、
「大切にされたDNA」が備わっている人は、
極端な話、180度反対方向へ走っていても
「あっ、そうだった」と軌道修正できる。
親が、わが子の明日からの、未来の命をどう扱うかを決める局面で
その人間の、夫婦の人格の「本質」に触れる時、
大切DNAの存在の有無を実感します。