最高でなければだめな物事~最大化と満足~
- なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴/バリー シュワルツ
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再読中ですが、新たな気付きがたくさんあって、
唸りながら学んでいます。
家づくりの最前線に立つ私は、様々な家族の、夫婦の、泥臭い人間模様と日々接している。
相談で終わる人
依頼しても、計画書提示内容では満足できず、小川の家を断念する人。
そしてもちろん、ハッピーに暮らす小川の家OBたち。
それぞれ提供している情報、説明は同じですし、
小川の家のスタンスは一貫しているので、
提示する内容・条件が違うわけではない。
なにが、どう、違うのか。
この十数年、毎日考える。
いろんな要素が複雑に絡み合っているわけですが、
経験知として、見えてくるものもある。
私の勘とか読み、疑問を支持・解消してくれるのが、このような書籍です。
本文から引用 p95
賢く選ぶという作業は、目標をはっきりさせることから始まる。
第一歩として、絶対の最高が欲しいのか、それとも、まずまずいいものが欲しいのか、どちらを目標にするかを決めなければならない。
自分が欲しいものは最高であり、最高でなければダメというのなら、
あなたは「マキシマイザー(最大化人間)」だ。
マキシマイザーは、買物や決断をするたびに、
それが考えられるかぎり最高だと確かめないではいられない。
※確かめる方法は、例えば、フリース一枚購入するにしても、すべてのブランド、商品、値札、機能、サイズを(試着・ネット検索も含めて)比較検討し、「最高の一枚」を求める。しかし、それを選択したあとで、時間がないなどの理由で調べられなかった別のオプションの存在にさいなまれる。つまり、(最高の品を選んだとしても)満足できない。
(マイホーム取得において)
誰に頼む?
どこに住む?
どんな家(間取り×デザイン×広さ×素材×構造×設備)?
いくら支払う?
いつ決める?
実現に必要なこれらを全部掛け算するわけです。誰でも。
それらすべての要素の選択肢は無限であり、
すべてのパーツに無尽蔵に新たなオプションも派生してくる。
あらゆるオプションを比較検討するためのコスト(時間×お金×労力)は青天井である。
マイホーム判断において、最大化=最高を求めるとどうなるか?
答えは、
①「最高のマイホーム」を手に入れたとしても、他にもっと良いのがあったのではないかと考える。つまり、最高を手に入れても、それほど満足できない。
②一生探し続ける=今の住居で生涯過ごす
本文を引用
マキシマイザーに対するもうひとつの選択肢として、
「サティスファイサー(満足人間)」になるという方法がある。
満足とは、まずまずいいものでよしとして、
どこかにもっといいものがあるかもしれない、とは考えないことだ。
サティスファイサーは、自分の中に基準なり原則を持っている。
そうした基準にかなう品がみつかったら、見つかった時点で、探すのをやめる。~中略~
最大化人間から見ると、満足人間は、すぐにそこそこで手を打とうとする人間と見える。だか、そうとばかりはいえない。ただ満足人間は最大化人間と違って、絶対に最高でなくても、じゅうぶんにいいものであれば、満足していられる。
最大化という目標は、大きな失望のもとになるとわたしはみている。
みじめになることさえあるだろう。
圧倒的な数のオプションを、事の大小にかかわらず、
揃えさえすればいいと信じている世の中にあっては、なおさらそうである。~略~
すべての要因を考え合せれば、現実的にみて最善の策は、満足することである。
この先も示唆に富む内容が続くのですが、家づくりに限らず、選択肢が無限となってしまった現代社会を生きる上で、賢者の知恵として学び実践していくことが、幸せに生き上で有用なのではないかと思います。
ちなみに、人は物事の領域によって、マキシマイザーとなったり、サティスファイサーとなる、との事です。意識して使い分ける必要がありそうです。