モノが欲しいのか、暮らしを求めているのか
家というモノを売らずに、
暮らしという価値を売る。
この意味を正しく認識して頂かないことには、
小川の家づくりの真意は、(相談者にとって)
「分かったようで分からない」となる。
小川の家が提供している「家」に住みたいと思うから、相談なさる。
「いいな」と思う理由は、
①素材、空間、外観、コンセプトなど視覚・数値化できるものが(我が家の)要望と合致している
②お客様の声・暮らしを見聞きして、(我が家も)そういう暮らしをしたい
①→②になるのではなく、
②を提供する為に①がある。
①を具現化する為に子育て優先の家づくりというプロセスがある
そのプロセスを考え、実行するのが実現請負の役割となる。
小川の家OBの殆どにとって、
そのプロセスである小川の家づくりのひとつひとつの階段は、
「思い通りにならない」「要望と異なる」場合が多く、
納得しながら、楽しく進むような手順ばかりではない。
どちらかというと、(具体的に形がみえない)最初の方が苦しく、
徐々に見えてきて、楽しくなっていく、
そして新居での暮らしは2乗の勢いで、
これまでとは全く異なる人生が展開されていく。
私が提示する手順、考え方、計画書の目的はすべて、「心豊かで健康に暮らせる住環境」を提供するためです。その目的・ゴールから逆算して、すべきことをすべてするのが、実現請負という仕事です。
心の奥底で暮らしを求めている人にとっては、
小川の家や家づくりは、何だかんだあっても、なじむ。
反面、結局のところ、モノが欲しい(執着?)人は、
やはり小川の家には向かない。
頭では小川の家の考え方を理解できても、
腹の底で求めているものが(私たちが提供するものと)違うので、
他をあたることになる(それがうまくいくかどうかは別として)。
坪数なのか?
それとも
暮らしの質なのか?
例えば、坪数や駅からの距離を優先・大事だと考えている人は、
それがすなわち、家族の暮らしの質そのものだと捉えているから。
つまり、家族の幸せは、
年収に比例する、
家の大きさや部屋数に比例する、
利便性に比例する(○○に近いほど幸せに暮らせる)、、、、
視覚・数値化主義、そういう価値観のもとで生きているのです。
そういう姿勢が原因で、
行き詰ったんじゃないんですかね?
息詰まる暮らしをしているんじゃないですかね?
子どもがイキイキ生きられなくなったんじゃないんですかね?
(不必要に)叱ったり、病気になる回数が増え、
育児ストレスも増してるんじゃないんですかね?
そんなのって、不本意だと思うんですよ。
少なくとも自宅ではピリピリしなくてすむような、
心が落ち着き、暖かくて、健康に暮らせるような、
子どもが気軽に外遊びができるような、
そんな住環境を提供したい、ただそれだけです。
※自給自足や田舎暮らしを提供しているわけではない
そのためには、多少不快に思われても、
大切なこと、実現に不可欠なことは伝えなきゃいけない
※伝わるかどうか、受け入れられるかどうかは別として
困っている人もいれば、
困っていない人もいる。
例えば、子どもが病弱じゃなくても、「元気なうちに」「そうならないように」と考え、早めに行動する人もいれば、ぜーぜー苦しんでいても、「利便性」を持ち出し、我が子や妻子を苦しませ続ける選択をする人もいる。
消費者がメーカーを自由に選択するように、
私も、仕事を、選ぶ。
※ここでいう仕事とは、私やスタッフの命を使ってやる価値・意義があるかどうか、という観点。
私は、困っている人のお役にたちたい。
とはいえ、困っていないようでも、実は困っていることを自覚していないだけの人もいらっしゃる。
そういう場合、困っていることを自覚なさった時が、私の出番のような気がする(苦笑)