欲の深さに目盛を
私たち庶民にとって、家づくりの機会は、人生に2度も3度もあるものではありません。
日用品は勿論、高価なモノとして車ぐらいであれば、「買い替え」は想定できるし、「試し」もあり得るし、仮に「失敗」したとしても、大勢に影響はありません。ところが、「マイホーム」となると、そうはいかない。
自らの暮らしをより良いものにするためには、より多くの要求・理想を「マイホーム(相手・モノ・社会)に求める」ことになる。それはそれで本能的に理解できるのですが、何事においても「程度」の問題が生じる。
私は日常的にギリギリの人間模様に接しています。
教訓として身に付いているのは、
「人間(その人)の欲は、どこまで深いか、詰めてみないと分からない」
ということ。
これは私自身にも言えることですが、
「どこまでいけば、満たされるのか」という想定。
Yさんは、最初、私にこうおっしゃった
「Aがあれば十分です」
私は答えた
「それであれば、実現します」と。
依頼を受け、計画書を提示すると
「Aはあるけど、Bがない」とおっしゃる。
AもBも満たしたプランを提示した。
すると
「Cがないから納得できない」という
私はこの要求を断り、Yさんも(AとBだけじゃダメで)Cがないなら、要らないという結論を出し、「子育て優先」の家づくりは終わった。
はじめから、
Yさんの欲という名のコップに目盛りがついていれば、
こんなことにはならない。
あるお店にて、800円を差し出し、
「グラスビール1杯十分ですから」という注文。
「分かりました」と準備していると、
「中ジョッキをサービスしてくれ」という。
800円で、グラスビールと中ジョッキなら、
何とかできそうなので、「頑張ります」と応え、準備する。
すると、グラスビールも出さないうちに、
「グラスビールと中ジョッキとピッチャーまで」と要求する、しかも計800円で。
さすがに「そりゃ無理です」とお断りすると、
「だったら要らない」といい、
ビールを飲まずにお店を出る。
誰もが思う、
「最初から、800円で、○○と××と△△はできますか?」と尋ねればよいのに、と。
しかし、現実はそうはいかない。
○○で十分だと思い、そう注文した。
ところが××も欲しくなってきた。
○○と××がいけるとなると、
△△も手にいれたくなる。
これは別に何が良いとか悪いとか、
正しいとか間違っているとかそういうことではありません。
ただ、家づくりの局面においては、
その人の奥底に潜む人間性が表面化してくるという現実。
その現実に、私はどう向きあうべきか。
プロとして「突然の雨もあるさ」では済まされません。