すべては「意欲」から
我が家は子どもが3人います。
3者3様24時間365日アクティブな彼らとの暮らしを、夫婦で子育てに「キレる」ことも含めて、充実した日々を、子育てを、人生を大きな意味で楽しんでいます。
一秒単位で急速な成長を遂げる彼らを見ながら、我が子の健やかな成長と幸せを親として考えたとき、その時点で、何ができるか、何をすべきか、という問いと行動が、まさに子育てなんだな、と実感するとともに、巷あふれる断片的な情報「英語は○○までに、習い事は○○、考える力やコミュニケーション能力は~、おむつは~離乳食は~」に振り回されていては、真に優先して抑えておくべきは何か?に混乱しがちです。
思うに、
生きているということは、常に変化していくわけです。必ず。
自身同様、常に目の前の状況は変化し、
社会から必要とされる能力も変化していく。
今活躍している人たちが、活躍できる能力がある理由というのは、幼少期に○○したから、という要素はないとは言えないわけですが、その核心というか、本質というのは、生涯を通じて常に「意欲的」に生きている、向き合っているということが最も重要なのではないか、と近頃思います。
プロアスリートが現役を引退する時、
モチベーションの低下を挙げる人が多い。
逆に、いかなる社会環境・境遇になろうとも、
よい成果を出す、出し続ける、幸せに生き抜く、道を切り開くには
高いモチベーションを維持する必要がある。
そのためには、状況に応じて、
それだけの環境を整え続ける必要がある。
「子育て優先」の小川の家、
そして子育ての森・千代の幸というのは、
子どもたちの生きる力=意欲を育み続けることができる、という点が最大の機能なのではないか、と思います。
「のびのび育つこと」の重要性というのは、
オムツが取れるのが早いとか遅いとか、
英語会話を3歳からはじめるとか、
そういう次元・枝葉のことではなく、
子ども自身が生きることを前向きにとらえられるような、
すなわち「意欲」が自然とDNAに刻み込まれるような、
そんな環境を親がいかにして与えることができるのか、
これにかかっているように感じます。
「そのことが」できるかどうか、できたかどうか、はある時点での事象にすぎない。
しかし、「やろうとするかどうか」
これは生き方、人生そのもの問題につながる。
一例を挙げると
晴れた日に「外に遊びに行きたい」という2歳児の「意欲」を
「6時になったら帰ってきてね」と伝え、送り出せるような環境を与えるのか、
それとも「ダメ、おもちゃかゲームでもしていなさい」と「欲止」し続けるのか。
家族が「生きる意欲」を感じるような、
そんな住環境を提供すべく、
子育て優先の家づくりを
意欲を持って、取り組み続けたいと
健康で、高学歴、高資格ニートの話を聞きながら、
思ったのでした。