まさか自分が○○になるとは・・・
天災、事件、事故、病、倒産、失業、リストラ・・・
人生には好ましくないことが身に降りかかってくることがあります。
テレビや新聞などよく耳にするのは「まさか自分が○○になるとは思っていなかった」との弁。
喜ばしいことでこの弁が出るのは良いのですが、マイナスな出来事に対してのこの発言にはいつも違和感を覚えます。僕なら、どう受け止めるだろうか、と。
自分の身の回りに限らず、情報化社会ですので世界中のいろんな幸・不幸な出来事を知ることができます。それらの教訓とは「いつ自分や家族の身に降りかかってもおかしくない」ということだと思います。
一例では30代のうつ病や自殺者の増加
私は心の病にはなりたくないし、自殺という選択をせざるを得ないような状況には追い込まれたくない。だからこそ、常日頃から「そうならないように」最善を尽くし、対処しています。対処法は、世の中に溢れているわけですから。仮にそういう状況になったとしたら、「ついに来たか、なんてこった」と受け止めるよう心の準備をしています。
私は仕事柄、家づくりという家族にとっての一生に一度の機会と常に対峙しています。そこには「何があってもおかしくない」「どこから何がいつ飛んでくるか分からない」という状況が常にあります。経験則と社会情勢の観察、学びから、飛んできそうなものと程度とタイミングを想定し、「万一飛んできたとしても」それに動じず対処できるよう備えています。だって、私が対処できない、あるいはその判断を間違えるとお客様家族にとっての「これからの心豊かで健康な暮らし」が一生吹き飛んでしまうわけですから。
備えあれば憂いなし
子育てに良い住環境をしっかり整備さえすれば、住まいが起因となる様々な悪影響やリスクは、その家族の人生から排除できます。子育ての住環境選択の間違い(失敗)に関しては、手遅れとなると取り返しがつきません。