私たちの考え

次男が進学先と住居を決めた。巣立つ時が来た。

次男イッペイさんが、長崎西高校を卒業した。

3年前、土壇場からの大逆転で合格を掴み取った。そして、バレー部の素晴らしい仲間たちに恵まれ、幸せな高校生活を送ることができた。いわゆる家では無口の次男ではあるが、うんか、ううんか、しか言わないが、学校のことは何も話さないが、なぜか、私たち夫婦は、彼のバレー部の友達のことをよく知っているし、バレー部の友達も僕たちのことを知っている。さらに、バレー部の保護者たちは、非常に親しくなった。部活の練習試合への送迎を協力しあったこと、子供たちが非常に仲良しだったことが、親としては喜びになっていたという点、そして、高校総体の後に、当日打ち上げしましょう!と保護者で話し合って決めた時に、子供たちも含めて、30名弱で楽しく宴会ができたこと、がある。そして、卒業式の日も、夜は打ち上げ。場所の予約は私の担当。親子32名、居酒屋を確保したのだ。

↑大宴会の後

2025年2月22日、武蔵野美術大学造形学部建築学科の合格発表。時刻は11時。
彼は学校だった。私は妻と二人で、パソコンの画面を開き、ドキドキしながら、クリックした

「合格」

涙涙の歓喜であった。

建築に進みたいという話を聞いたのは、去年の夏頃だろうか。マジ?マジ?建築とか興味ないだろう?

とはいえ、建築にいくというから、大学を探した。私は建築を生業としている。私は建築学科ではなく、土木環境工学科。ちなみに土木と建築とは、まったく異なる。とはいえ、この業界で商売しているので、建築の何たるか、は業界以外の人よりは詳しい。

建築は大きく分けて、構造系と意匠系に分かれる。さらにいえば、現場(施工管理)なのか、設計なのか、許認可なのか、役所なのか、構造なのか、デザイン系なのか。とにかく、彼の特性からすると、意匠系である。

意匠系で建築学科を探す。当然、偏差値も重要になる。建築学科はいろんな大学にあるけれど、どこでもいいわけではない。入れればいいという考え方は、私たち夫婦にはない。いろんな大学のサイトを見る。それぞれに癖がある。

美大の建築、ムサビの建築。建築業界ではムサビの建築は有名だ。かつ、デッサンではなく、数学で受験できる。

国立をどうするか。熊本大学、聞いた時、マジか?と。我が母校である。ここだけはやめておけ、と言っておいたことが本人的にはずっと引っかかっていて、熊大建築を受験したいとはいえなかったようだ。ここだけはやめておけ、は熊大が問題なのではなく、熊大は素晴らしい大学である、が、私とは異なる経験をしてほしいからだ。熊大にいくということは大学生活もその先の進路、やる仕事も、想像がつく。だって、そうだから。とはいえ、どこにいくかは本人の問題。とにかく、熊大目指す。まあ、かなりというか、相当勉強しないと合格しないのだ。

結果的に、熊本大学工学部土木建築学科には不合格だった。不合格だったけれど、熊大を受験した日に、熊大に合格するとしてもムサビにいくことに決めた。意匠系にいくなら、ムサビである。共通テスト1000点満点の偏差値の問題ではない。そういう物差しでは測れないのが、美大の建築なのだ。

親としては、というか、私は、ワクワクする方に進んでほしい。私がワクワクする方に進んでほしいのだ。線路が決まっていて、見通しが立つ人生ほどつまらないものはない。お金はかかるわけだけど、お金をかけることでしか得られないものがある。同じ費用でもワクワクするなら喜んで支払うし、そうでなければ、私にとっては死に金になる。お金は生かしてなんぼ。

長男キハチはランドスケープデザインで、東京農業大学の造園科学科へ。ランドスケープの世界では千葉大に次ぐ、名門である。建築の世界でも同様で、意匠系ではムサビは一目置かれる。何より、周りの学生たちが間違いなくユニークである。

アパートを探さなければならない。あっという間に良い物件から無くなっていくので、急遽、3月6日に、弾丸日帰りで私だけで行ってきた。物件をたくさん調べて、候補を絞り込んで、空き部屋の最終確認をして、3物件。羽田からレンタカーで見て回って。最後は、テレビ電話で部屋から中継して決めた。

3月10日、次男と妻と私の3人で、当初アパート探しの予定だった旅程を予定通り出発した。

部屋を確認するだけでなく、周辺環境、スーパーなども確認できた。

初めての一人暮らしが始まるのだ。

初めて自分の部屋を持つのだ。

長男と次男は別々に暮らす。東京都内ではあるけれど、離れているし、長男は長男で、ようやく生活が慣れて落ち着いてきたし、いいところに住めている。次男は次男の大学生活なのだ。

父親としての私ができることは何か。すべきことは何か。高校進学、大学進学というのは、人生の岐路である。そこで親としてどう判断するか、見極めて、何を優先するか、させるか。その時は必ずやってくるわけで、そのための軍資金は18年間用意する時間があるわけだ。

軍資金を用意してきたからこそ、ここぞというときに、お金を使える。お金をかけることができる。私はケチであるが、こういう時のためなのだ。

3月11日、渋谷で買い物して、今、羽田空港でこのブログを書いている。

僕がやるべきことはこれで終了。引っ越しは妻が担当するし。

子育てはカウントダウン。子供と過ごせる時間を真剣に向き合って、自分なりに愛して育ててきて、彼が立派に巣立っていく姿を見れて、ハッピーです。

子育て優先は幸せスパイラル。仕事だけでなく、自分の人生をかけて、その正しさを証明していく。

 

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。