駅の改札の向こうに
ひとりの、イキイキとした少年がいた。
一年ぶりの再会
彼の表情が目に入った瞬間、
私は、小川の、子育て優先の家づくりの「価値」を再確認した
小川の家が提供する価値とは何か。
それは、子どもがイキイキ健康に育つこと
「迎えに来てくれたの?」と聞くと
「いやー、近くを通ったから」とはにかむ
「そう、ありがと」
駅から続くこの街路樹沿いにS宅はある
小学校1年生の彼は、
ひとりで自由に自転車であちこち遊んでいる。
1年前までの住環境とは、まったくちがう
心のこもったおもてなし料理を準備して下さっていた
家族の素敵な写真があるのですが、
「恥ずかしい」ということでブログではアップできませんけど、
世の中、悩ましい問題は次々と山積するけど、
「家族の幸せ」ってまさにこれだと思います。
Sさんからのメールの一節にこうあった
この1年、振り返って思いついた一言は・・・
「毎日、幸せです」かな。
ひねりも何にもなくてつきなみですが、
家族を前に、ひしひし感じる「幸せやな~」です。
この一言はやっぱり小川の家で暮らしてなきゃ、
にじみ出てこなかったかもしれないです。
今まで不幸だったわけでは決してないですけど、
なんか違うんです。
これは住んでみなくちゃわからない・・・かもしれないですね。
本当にいつも小川の家のみなさんに感謝しています。
ありがとうございます。
「幸せ」と「楽しい」とは、言葉がちがうように、概念がちがう。
「幸せ」には、いろんな葛藤や向き合うべき大変なことも含めての総括ではないかと思うのです。
「毎日、楽しいです」と「毎日、幸せです」
とは、やはり、ちがう。
家づくり奮闘記やOBの声(詩)にもよく出てくるように
小川の家づくりには、ある種、苦行というか、修行というか
そういう一面を乗り越えなければならない局面があります。
それは小川の家の問題というより
真に大切なものは何か?
それを大切にするとはどういうことなのか?
さらにそれを自らが実行することの難しさ
なのだと思います。
「毎日が、幸せです。」
家だけの問題じゃなく、夫婦がそれぞれ力を合わせて、
さまざまな困難に前向きに立ち向かうからこそ、
得られる境地、人生なのだと思います。
現住居が、不平、不満、不快、不健康、不便な日常をもたらすのであれば、
そこに住み続ける限り、「毎日が、幸せです」はありえない。