MY LIFE

ウルトラマラニックという世界〜ボラ収容班の一員として

11/2(金)夜22時〜翌日土曜日17時まで、橘湾岸スーパーマラニック秋のステージ(P103km)大会のボランティアスタッフの一員として、参加してきました。私の担当は収容班。
午前0時スタートの見送り。関東からリピーターとなっているHさん、Gさんと再会

<収容班の役割>
マイカーでリタイアした人をリタイア地点まで迎えに行き、収容して、拠点エイドまたはゴールまで届ける
※いつどの地点でどれぐらいの数のリタイア者がでるか全くわかりません。呼び出しの電話がなるか、巡回していく中で、状況を見て判断する。常時待機状態(仮眠は午前4時〜5時まで1時間だけとりました)

<リタイア(DNF=Do not finish)とは?>
主に二つあります
①ランナー自らの判断でリタイア宣言する(もうこれ以上は進めません)
②主催者側のルール・判断でレースをやめさせる。
コース上に複数ある関門地点に関門時刻に間に合わない(ルール上は失格。進みたいけど、強制的にレースを終了させられる)

収容班は今回で3回目。
今回、収容に際し、事前に自分で決めたことが3つあります。

まず、①のリタイア宣言した人には、状況を聞いて、見て、私の判断でまだやれると思ったら
「もう少し先まで行きませんか?後ろから見守っているので、いつでも収容できますから」と伝えること。
つまり、リタイアすると言っている人に「ここでやめてはいけない。まだやれますよ。まだやれよ」という愛の鞭を与える。

次に、②の関門に間に合わないであろう人に叱咤激励して「まだやれるはず」と伝え、具体的な走り方を助言したり、補給させたりして、1kmでも先に1つでも次のエイドに、一山でも次の山を越えられるように、全力でサポートする。

最後に、①と②を組み合わせて、本人が納得、やりきった、悔しい、またチャレンジしたい、と思ってもらえる状態で車に乗せる。

エピソード1
島原城(57km)手前、3kmぐらいで足を引きずっていた若者がいました。車を止めて声をかけると「島原城までは関門に間に合うと思うのですが、足が痛いので、そこでやめます」と言っていた。
→島原城に到着して、やめるというから、何言ってんだと(一緒にボラしている超ウルトラランナー女性Nさん、Mさんと一緒に)、まだやれるし、まだやりきっていないし、ここからがウルトラだよ、橘だよ、と鼓舞して、リタイアさせずに続けさせた。

もうダメだと思ってから、また6km進めて、次のポイントまで行けるかどうか。この景色までたどり着いて、サッパリされていた。

エピソード2
島原城エイドを出たシニアランナーが戻ってきて、リタイアする、という。(走れる)足が残っていないから、これから山は登れないし、下れない、という。
上記と同様、何言ってるんですか(笑)、私達から見たら(足は)十分動いていますよ。行きましょうよ。ここからが本番ですから。いつでも回収しますから、安心していけるところまでいってくださいと(リタイア受け付けず)。


諦めたところからさらに進むと、違った世界が見える、味わえる。これは至福の経験でもある。

エピソード3
島原城の次の無人エイド(60km)で、関門に間に合わないであろうペースのランナーが何名もきた。
その都度、一緒にボラしていたSさん(天草)、Tさん(北九州)と3人で「まだいける、まだいける、諦めない、走る走る!」とヘロヘロのランナーを鼓舞しまくった^^
(結果的に、数kmで戦いが終わった人もいれば、そこから十数キロ、20km先まで進んだ人もいる)

私は収容班をするときには、できる限り、最後尾のランナーをサポートするようにしています。
理由は単純で、後ろのランナーほど、リタイアするし、周りに誰もいなくなっていって、孤独だからです。
自分が経験しているからこそ、なのかもしれません。
エイドにたどり着いても、食べ物も飲み物も殆ど残っていないことが多い(だから私は収容班でも食べ物、飲み物は積んでおく)。
先頭のランナーがゴールする頃に、まだ残り40km地点で葛藤しているわけです。

収容車の中では、いろんな話が聞けますし、人間模様があります。
リタイアすべくしてリタイアした人もいれば、
転倒など予期せぬ事態で諦めざるを得ない場合もある。
スタート時間が実力に応じていなかったが故に、関門に間に合わなかっただけの人もいる。
2年前に乗せた女性を最後に乗せました。
「以前も乗せていただいた、、、」と。
50km過ぎるとどうしても足の裏が痛み出すとのこと。睡魔にも弱そうだ。
練習方法(夜間走やロング走)やウエアや靴など、僕なりの工夫を助言。

こういうコミュニケーションが取れるのは、収容班の特権だと思っています。

写真は、
千本木湧水無人エイド(63km)と雲仙上りの最後の道路公園(80km)にて。
どちらも景色が良いのですが、次の関門時間に間に合うかどうか、瀬戸際地点です。
写真のランナーの皆さんは、ゴールまでたどり着けなかったわけですが、それでも限界点を味わえたのではないでしょうか。

来春はランナーとして走らせてもらいます。
来秋以降、またボラするかどうかは未定です。

完走した皆さん、おめでとうございます!
日頃の鍛錬と準備の成果だと思います。
残念ながらゴールまでたどり着けなかった皆さん、ナイスチャレンジでした^^
少なくとも私が収容した方々はやりきった感じでしたので、リタイアするにしても納得いくまでやる、やらせることが大事だと思いました。それが橘湾岸の理念やスピリッツを実践することだと個人的に思うので^^

完走するからこそ見える景色もあれば、
リタイアするからこそ見える世界もある。

来春E217km。私はぜったいにリタイアはしません!

※ゴール後、ボラ終了。北九州から参加している二人の師匠と。
これから渋滞の中、小浜から長崎市内の自宅へ2時間弱のドライブ。計300km弱運転しました。ビール飲んで、爆睡^^

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。