
我が子の命とは具体的になにか?
『いのち』って何だろう?
- 寝ながら学べる構造主義 (文春新書)/内田 樹
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この書籍の中に、高島俊男著「漢字と日本人」からの引用で
「概念があるからことばがある。
逆にいえば、
ことばがないということは概念がないということである」
という一節があります。
先日、NPT会議に出席した被爆者の方々がインタビューに対して
「命の大切さを伝えることができたと思う」とおっしゃっていた。
このニュースを見て、上述の一節を思い出した私はちょっと引っかかった。
「命という概念をどうやって伝えたのだろうか」
というのも、日本語の『いのち』ということばの概念にジャストフィットする英語って、確か「ない」。
※「そら」はあるが「てん」はないのと同様。
そもそも日本人にとっても『いのち』ということばはもちろん、
その概念は、人それぞれ違うし、的確に説明し、認識を共有するのは難しい。
だけど、大切な表現として、事あるごとに、使っている。
わたしは親として
「あなたは、子供の命を大切にしていますか?」
と問われれば、
「はい、もちろん」と即答する。
しかし、
「具体的に、何を、どう大切にしているのですか?」
と問われたら、どう答えるだろうか。
自分なりに考えた。
我が子の命とは、具体的になにか?
そして、
(父として我が子の)
命を大切にするという判断・行為は、
具体的にどういうことか?
一晩考える価値は十分あると思います。
私なりの答えは、明日にでも。