事実は自ずから現れる
同時に複数の書籍を併読するのですが、あっさり読める一冊もあれば、なかなか難解で一向に進まないものもあります。進まないうちの一冊(苦笑)
「事実は自ずから現れる」
この一節に止まりました。
家づくり相談の内容は主に二つに分かれます。
①自分の意思ははっきりしているが、ダンナとの間で合意できない
②自分の意思もわからない、ダンナがどう考えているかはよりわからない
①に関して、ダンナがまったく相手にしてくれない、というケースはほとんどなく、家を建てる事には同意している、というリアクションが多い。ただし、具体的にどうするか、となると、お前に任せる、とか、お前がいいなら、という表現で、いつか、近い将来、的な言い方をする。これに対して、ほとんどの妻は「(ダンナは)いつかきっとなんとかしてくれる、真剣に考えてくれているハズ」だと解釈する。
事実は自ずから現れる
夫が本気で妻と子どもたちの暮らしの事が大切で、住まいをなんとかする気があるかどうかは、つまるところ、言葉ではなく、事実によって明らかとなる。
現状がそうであるということは、夫の真意がそのまま事実=現実の姿として現れているにすぎない。
これは夫だけの問題ではない。
現実の日常は自らが望んでいるものを反映しているにすぎない。つまり自分の意思が現実=事実に自ずと現れている
本気で今の暮らしを変えたいのであれば、自ら具体的な行動を起こす。
この仕事に携わって、これまで20年間を振り返ってみても、なんとかする、と意思決定した方が、家づくりを成功させているわけです。棚ぼた、他力本願の人など、一人もいない。
他方、うまくいかない人は、すべてにおいて、事実は他力本願、責任転嫁。
あなた自身の本意は現実に自ずから現れる。
同様に、夫の本意も時間経過と共に自ずから現実の暮らしという形で現れているわけです。
この自省録という名著にはこういう一節もあります
『人は各々自分を他の誰よりも愛していながら、自分に関する自分の意見を、他人の意見よりも重んじないのはどういうわけだろう』
要するに、自分の暮らしと人生と住まいに対して何を大事にしたいか、という自分の意見よりも、どこぞの誰かの(親兄弟含めて)意見を優先して、自分の意見を捨て、自分が望まぬ人生を送るのはなぜかという素朴な疑問(そんなことをして幸福になるわけないじゃん、そんなことをするために生まれてきたわけじゃないじゃん、と作者は言いたいのではないかと私は解釈)
「子育ては住まいから」とは私の信念です。
「子育て優先」は私のライフスタイル、人生観、価値観です。
その信念と価値観に基づいて、小川の家は存在しています。
どんな住まいでも子どもは育つ
子育てよりキャリア
子どもを育てるために家を建てるなんてありえない、
家族に心身の健康より安さ、便利さが大事
という他人の意見など、私にとっては重要ではない。
夫の本音はどこにあるのか、現実に自ずと現れている。
自分の本音がどこにあるのか、これもまた現実に現れています。
本気でなんとかしたいという意思があれば、必ず意思が自ずと現実の行動に現れます。
家づくり診断の申し込み:info@ogawanoie.jp