MY LIFE

橘湾岸スーパーマラニックH320km リタイア忘備録1

こんにちは^ ^橘湾岸スーパーマラニックH(ハイパー)320km部門、前半のeコース217kmゴールの小浜中継所にて、やめることにしました。リタイアです。後半のp103km部門は走りません

37時間15分

びっくりするぐらいよく走り切ることができました。ジタバタ練の成果でした。やめる理由はいろいろありますが、いちばんは気管支喘息の悪化です。咳が止まらないので。

ま、無理すればリスタートできますが、これでも十分無理していますし、目標は大幅に達成できたし、エンジョイできました。

たくさんの応援コメントありがとうございました^ ^返信できませんでしたが、たくさん元気をもらいました。

37時間のうち、横になったのは15分。

ずっと外を歩き走り続けていたわけで、頭おかしいですよね。

忘備録を何回かに分けて。

まずは、めちゃくちゃ出来過ぎでした^^

ここまでこんなに走り切れるとは。難攻不落のE(えぐい)217km。自分が一番びっくりしていますが、僕の走力を知っているラン仲間もめちゃくちゃびっくりしているかと。

理由は3つ。

①ジタバタ練(←これ最大)

②並走仲間の存在(吉田さん、多分、まだ走っている)

③涼しかった

<部門と大会の仕組み>

E(ハイパー)320km部門とは、E217km+P103kmで構成。W276kmはL173km+P103km。

Wを完踏すると金龍ランナーの称号が得られ、Hを完踏するとハイパー金龍と呼ばれる(極めて限定された人たちにしか意味もわからない価値もない業界用語)。

湾岸は春と秋の2ステージ。

春の野母崎半島:S55km、M80km、L173km、E217km、

秋の島原半島:P103km、W217km、H320km

Eは2018春に設立され、H2019秋から。2019まではWは2年に1回開催。Wは誰でも参加できるわけではなく、以前はLとPの両方の完走者だけが参加資格を与えられた。

私が金龍を得たのは2017年。もう7年も前になる。

金龍(W)の難しさは2徹にある。遅いランナーは、ほぼ丸3日間、不眠不休で歩き、走り続けないといけない。私のタイムは55時間32分。

Eにも参加要件がある。当初はL:27時間40分以内だった。それだけの実績がないとゼッケンをもらえない(私はL30時間なので無理)。

実際には参加要件をクリアできる選手が少ないこともあり、要件が緩和され、Eだと誰でも出れる(ただ、完走できませんよ、と言われる)

2019にEにエントリーしたものの、約110km地点、恐竜でリタイアした。当時は走り込んでいたけれど、熱中症で力及ばず。熱中症になるかならないか、リカバリーできるかどうかも本人の実力。コロナ禍に加え、湾岸愛もヘタリ、5年間エントリーせず。

2024年5月、Eに再エントリ。前回同様、熱中症で恐竜(110km)でリタイア。

今回Hエントリーの目的はEを完踏したいから。僕は湾岸以外の大会に出ないので、大会参加が丸1年開くと体がめちゃくちゃきつくなった状態を忘れてしまう。秋にハイパー入れておいて、それに向けて練習する。本来、ハイパーの参加要件はE完走のはずだが、要件が緩和され、Eで100km超えた選手は参加可能になった。

目標は、ステップとして

必達目標:伊王島の角煮ちゃんぽんを食べる

必達目標:恐竜を越えること。恐竜から先を経験したい。

目標2:樺島のカレーを美味しくいただく

目標3:川原(143km)、夜の野母崎半島を超える

目標4:夜を超えて朝まで生き残る(茂木、159km)

目標5:網場日見(173km)まで到達できたら、出来過ぎ。

目標6:小浜(217km)

上記の通り、H完走を目標にしていない。その困難さは自分がよくわかっているし、想像以上のはずだし、軽々と掲げられるようなものではない。何より、なんとしてもハイパー完走したい、と思わない。

Eをなんとしても完走したい、という熱はない。だけど、攻略できて完走できたら、面白いだろうな、というのはある。というか、攻略を考えてやってみることが面白い。

小浜中継点(217km)まで、びっくりするほど、元気に到達できた。もちろんダメージはあるけれど、217kmの道のりが、つなげてみるとどういうものなのか、味わえた。次の課題も明確になった。

ちなみに、春と今回とでは、距離が少し短縮されているし、気候が全く異なる。今回だと2時間は早く到着できないと完走できない。とはいえ、200kmを超え、37時間もエクササイズできたことは自信になった。

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。