「自分が決めない」から「何も決まらない」~先送り~
堂々巡り夫婦、たくさんいます。
「まだ、決まらないんです」
「3年後か、5年後ぐらいに」
計画的先送りのようだが、
結局は、ときを失うだけである。
3年後も、同じことを言う。
さらに3年後、「もう無理だよね」
さらに3年後、「あのとき、やっておけばよかったよね」
原因はすべて自らの意思に起因する。
自分が決めないから、決まらないだけ。
自分が決めれば、パートナーや周りは協力する。
ただし愛があれば。
自分が決めない限り、困っていない周りは、
愛があっても動く必要がない。動機がない。
そもそも今の住居はイヤと言いだしたのは、誰か?
当事者として困っている人間が、まず決めない限り、
具体的には何も変わらない。
※子供は願うしかない
自己資金?収入?
予算の多寡は、モノの程度問題に過ぎない。
単に身の丈に応じたものがカタチになるだけ。
マイカーがベンツではないのと同じです。
※なぜか分からないが、家づくりの要望となった途端、誰もがセレブと同じレベルを要求する(周囲も含めて)「家を建てるなら○○」そして日々自分で自分のハードルを高くする→解決はより困難になる
自分が決めない人に限って、うまくいかない、思い通りにならない原因をパートナーやお金、親、業者など周囲に責任転嫁する。
あなたは決めたのですか?
一緒に決めたい、なんて、きれいごとである。
決めない(とはいわず、決まらないという)のは自分のせいではないという責任転嫁の、ていのいい口実である。
現実には、家づくりに限らず、何事も、誰かが決めて、周囲が追随(協力)するだけである。人それぞれちがうわけだから、意思と行動には時差が必ず生じる。
昨日は二組の家族が「決めた」
「一緒に決めた」ように結果的に映るだけで、実際には夫婦のうち、どちらかが「先に」決めているわけです。それぞれが抱える課題や悩み、葛藤の中で。
決めたからといって、葛藤がなくなるわけではありません。また次の葛藤が生じる。
でも間違いなく、住まいの問題は解決に向け、先に進み、数か月後には確実に人生が変わる。
思うに、ひとさまの人生、日常生活がどうであれ、結局自分には関係ない。
仕事とは関係なく、知人友人から相談されたり、話を聞く機会があれば、「大変だよね、頑張ってね」と同情すれど、踏み込んで解決します、という輩は滅多にいない。なぜなら、本人がどうしても何とかしたいと決めていないから。外野は所詮、外野である。
私ができることは二つ。
ひとつは、「決めた」人のために、その家族にとって最善最適なカタチを考え抜き、具現化する。
もうひとつは、「決める」ために必要な情報、知見、実践知を無料で提供する。
一歩前進したい方は家づくり診断を活用下さい(無料)info@ogawanoie.jp