余命1年だとしたら
私は、1992年3月13日から
「世は無常」観で生きています。
かれこれ20年になります。
きっかけは超元気だった叔父の急逝。
出張先のアフリカの現場で、
本人の不注意によるものです(労災)
私は遺族の一人として
遺体を引き取りにケニアまで行き、
「世は無常」を経験しました。
それ以降、「何をするか」に対しての考え方が
随分変わったような気がします。
日々の自問は極めてシンプルです
「明日死んでも後悔しないか」
「○○して(しなくて)後悔しないか」
ホームレスではない限り、住居があります。
妻子がいれば、家族が暮らす住まいがある。
自宅の問題に関して、問題を抱えていたとしても
「急がない、困っていない、もう少し先で」と言う人はたくさんいます。
自分やかけがえのない家族が、
平均寿命まで健康に生きている保証などないにもかかわらず、
思考、判断、優先順位の前提が
「家族全員、元気に、生き続けることができる」になっている。
しかし現実に「人生がいつ、どこで、どういう形で終わるか」は、誰にもわからない。
※自ら命を絶たない限り
「余命一年」と宣告されたとしよう。
あなた、もしくは子供が、いまの住居で暮らしで
終えることになっても後悔しないだろうか。
余生ではなく、人生を。
父親ならば、残された妻子に何を遺すのだろうか。
想い出?生命保険金?
「家、建てておけばよかった、、、」
余命とは、生死だけではなく、
住宅ローンにもあります。
残された稼げる期間が短くなることにより、
・貸してもらえなくなる
・支払えなくなる
・子供はどんどん大きくなる!
明日から11月、今年も残り2か月。
来年以降のことを考え、余命という観点も大事です。