世の中に~
世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
この季節になると、思わず口ずさんでしまうのです。
学生時代、国語、古文、漢文がまったくダメダメだった僕にとって、
授業でこの歌の意味を教えてもらい、すごーく感動した記憶があります。
解説:世の中に桜というものがなかったなら、春に(桜はいつ咲くだろうかとか、雨風で散ってしまわないだろうかなどと)心乱されることはないだろうに
季節を感じることができる住環境で暮らしているのか。
これは心豊かに健康に暮らすためには、必須条件のような気がします。
というか、人間が人として生きていく上で大切なことのように思います。
大学を卒業し、大阪のゼネコンへ就職。
高級マンションのような独身寮での生活は快適でした。
入社後の半年間、私は神戸と出雲の現場に配属されました。
その後、本社の設計部へ。
秋の気配を感じるはずの季節になったとき、
気温と暦だけが変化する『季節を感じない』コンクリートジャングルの生活に違和感を覚えるようになりました。
これじゃ、まずいなーと。
いろいろな理由があって、入社13か月で退職したのですが、その理由の一つは’四季すら感じられない’環境で生きることへの違和感があったのは事実です。
東京出張の続きですが、
出版社との打合せを終えた後、夜はそのゼネコン時代の同期と一杯。
某大手自動車メーカーの商品企画に転職したA君
某大手マンション開発会社に転職したK君
某公認会計士事務所に転職したK君
の計4人で、たまたま見つけた銀座の響というお店で周囲はカップルばかりなのに男四人でわいわいガヤガヤ(笑)。
同じ会社に一緒にいたのはたった1年間だけ。
しかも部署はみんな違った。
だけど、なぜか兄弟みたいな仲なのです。
あれから12年が過ぎ、今でも電話一本で集まれる私にとっては貴重な親友たちです。
おいしいお酒と料理とたわいもない会話で盛り上がった後は、新橋でラーメン食べて解散。
話が脱線しましたが、何を言いたいかというと、暦と気温だけであればそれは四季とは言わないし、季節とは言えない。
季節を感じることができない住居で子どもを育てるということは、イコール四季、季節を感じるという感性を奪ってしまうのではないか、と思うのです。
今日のランチは、千代の幸の事務所横の公園にてスタッフみんなで花見弁当です。