我慢→幸せ、ガマン=不幸
我慢してますか?
いっぱいしてますよね
「私と子どもがガマンすればいいんですけど、、、、」
相談にはこういう一節がよくある
問題は、我慢には2種類ある、ということです。
ひとつは、前向きな我慢
もうひとつは、後ろ向きなガマン
我慢が大事、と我慢が称賛、美徳、奨励される内容とは、
「目的がGOODで、それに向かって必要な物事」の場合です。
※それって、我慢じゃなくて努力でしょ、なのですが、、、
例)
試合でいい結果を残したい。
体調管理のために、ビールを我慢する。
例)
子どもがのびのび健康に過ごせる環境に移りたい。
だから、この1年、お金を貯めるために、外食を我慢する
「我慢しなさい」と教育されてきた私たち
我慢の対象や目的に応じて
・我慢すべきことと
・してはいけないこと
があるにもかかわらず、
その前段を切り取ってしまって
「我慢は、善、正」という具合に
インプットされてしまっている
日常の、自宅での生活で、
子どもに我慢させることは、なにか?
母親が我慢すべきことは、なにか?
相談で「ガマン」に関するもののうち、
「そのガマンが、まさに不幸です」というものがある。
「かわいそう、ではなく、不幸」な状態
(パートナーと)付き合ってた時には
「言えたこと」
「向き合って、聞いてくれたこと」
「なんとかしようと、してくれたこと」
が
「ガマンしろよ」になってくる
「わがまま」と受取られる
「忙しい」&「困っていない」となる
「建てるけど、急がなくてもいい」となる
「いま、苦しんでいる」のが伝わらない
伝わったとしても、「解決」に協力してもらえない
「協力しないとは言っていない」と言われる
目標や目的に対して必要な我慢は、時に、努力といいます。
しかし、ガマンしたところで、時が過ぎるだけで、
問題がなにも解決しないのであれば、単なる不幸です。
ガマンが家庭を不幸にすることもある。
我慢しないことが、家庭を不幸にすることもある。
社会は、より神経質な闘いの場になっています。
だからこそ、自宅での暮らしで不必要に闘う、
ガマンする、マイナスエネルギーを費やすよりも、
家族が豊かな心で健康に暮らせて、
パワーをもらえる場にしておく必要がある。
それを叶えるお手伝いをするのが小川の家です。
<余談>
「その要望(=我慢したくない)がまさに、
家族を不幸にする」というものもある(苦笑)