MY LIFE

普通の旅行がしたい〜家族で槍ヶ岳登山〜

 
家族からの声〜槍どうだった?
ナナ(中1)「最後だけ、楽しかった」
イッペイ(中3)「キツかった」
キハチ(高1)「別に」
妻「パパの時間計画は、ほぼ正確」
ナナがいう「最後だけ」とは、槍の穂先への往復1時間の岩登り。少しの油断や手足を滑らせると滑落死という場所。
娘が上り下りする姿をドキドキして眺めながら、手足の位置や動きを指示しながら「これで落ちたら、連れてきたことを後悔するなあ」と。
https://www.facebook.com/hayato.ogawa.54/videos/228120932523080
私は、自分のイメージでは自分が山頂で感動して泣くかと思っていたのですが、それよりも、若干、後悔というか、無理させ過ぎたなあと。私から見ると命が縮む光景だったのが、彼女にとっては面白いアトラクションだった。余談だが、山頂で写真を撮影してくれたグループの一人、ベテランの登山者が目の前で尻餅をついて滑落しそうになった。
(祝登頂。ガスで何も見えませんが高度感と達成感はMAX)
イッペイは、強いとは思っていたけど、想像をはるかに超えた強さだった。岩場も怖がらない、体幹も胃も強いし高山にも強い。サッカー部で長時間炎天下の中でダラダラやるおかげで長時間・持久力も強い。そして、用がなければどこでもすぐに眠れる。食べたいものだけ速攻で食べる。飲む。自分のスタイルとスタンスがある。見事である。草花には興味がなく、ピークハント型。

(ようやく槍ヶ岳が見えてきた)
キハチは、彼独特の楽しみ方がある。植物に興味があるようだが、それが何かを具体的に調べるタイプではない(父譲り)。強くなっていたが、登山部の練習が短時間高強度のため、長時間になると持久力の弱さが出てくる。これはコロナ禍で週末の山行ができないことが原因。それでも高山病への対処も少しずつ自分でできるようになってきていて、とにかく立派な大人になっていた。カッコよかった。コツコツ刻む強さ、そして最後までしっかりやり抜く強さが彼にはある。
妻も強かった。
槍トレ(ジムのマシーンで斜度7〜10、45分)が抜群の効果を発揮した。とはいえ、流石に9時間の行動、暑さと高山ということもあり、山小屋到着時には、キハチ同様、頭痛など高山病の症状が出て、夕食もほとんど食べることができず、きつそうだった。が、少し寝て、経口補水液、呼吸法、体を温めるなどして、徐々に回復。さすが、いろんな意味で強い^^

(ヒュッテ大槍着)
帰路、福岡空港から長崎へ車で戻る途中、妻とあれこれ振り返る。
「槍」は簡単に登れる山ではありません。
登山者にとっては憧れの山の一つです。最短でも往復40km超、標高差2000m、標高3000mの高地、気象の変化が激しく、高山病もあるし、山小屋に2泊、最後は命がけの岩登りがある。長崎からだと登山口にアクセスするまでも長旅です。
山登りを始めたのはちょうど10年前。長男6歳、娘3歳。私たち夫婦も初めて。近所の八郎岳から。公園で遊ぶには限界があり、とはいえ、私の性格的に、商業施設で遊ぶタイプではない。人混みと物が多いのが苦手だからです。
最初は、八郎岳の半分、途中で引き返した。それから普賢岳や久住など、長崎の山から九州の山へ。同じ山でも距離や時間を少しずつ延ばしてきた。途中で引き返すことも多々あった。まだ無理だな、装備がこれじゃダメだな、など。
北アルプスは5回目。
初めては2014年。上高地から横尾(山荘)まで往復(林道)トレッキング。横尾山荘に宿泊して、その時、初めて「槍」という存在を知った。いつか登れたらな、と。
2016年:徳沢園泊。「涸沢」を目指すが、初日の雷雨で徳沢園に着くのも大変だった。装備や体力から涸沢はまだ到底無理と判断。断念して、少し先の本谷橋往復に変更。
2017年、立山。悪天候の中、雄山の神社は幻想的だった。
2018年、燕岳。初めて北アルプスの稜線に立つ。
2019年、涸沢+北穂高
槍に登るために、妻と奈南には、3回の山行を設定。九重で6時間動くこと(長時間外で体を動かす)。八郎と郡岳で4時間、高温多湿の中、急登と暑さになれること。何度か山行をすることで、山歩きになれ、必要な装備もわかり、何より、ナナがどうすれば登ってくれるか、歩いてくれるか、装備や行動食、リズムやこちらのイライラも含めて、対処法がわかってきた。
合わせて、撤退ラインも先に決めていた。
天候の問題ともう一つはナナのやる気の問題。
きついから動かないのか、登りたくないから動かないのか。こちらがキレそうになるぐらいふてくされたのは、最後の徳沢園から上高地ぐらい。もちろん上部のきつくて暑くて時間のかかるポイントは誰でも嫌になるので。槍が見えてからはぐっと違った。最後はイッペイに追いついて、仲良く走って、僕から逃げた。
感謝です。幸せな人生です。
(下山してきて河童橋にて)
これで彼らはどんな環境になっても自分でしっかり歩いて生きていけると確信しました。勉強やスキルは教えてくれる人が世の中にはたくさんいますが、強制的に山登り、ましてや「槍」までさせるのは親ぐらいしかいない。自信とか、諦めないとか、達成感とか、それが何かをわかるには、大きな山に登るのがいちばんよい。
彼らは富士山も登ったし、槍にも登ったし、山登りが好きじゃなくても、そこに自分の足でいけば、達成感とか、美しさとか厳しさとか、人の温かさとか、水の美味しさとか、そういうものがわかる。
イッペイだったか、ナナだったか、忘れましたが、途中、本質的なことを言いました。
「歩けば、(山頂に)着くとやろ」
長い道のりなので、トータルの距離は教えず、30分から1時間程度の距離のポイント(分岐点や休憩地)だけを伝えながら進みました。これ、ウルトラマラニックで学んだことの一つです。ま、地図を見せても全く興味を示さなかったというのもありますが。
人生でやっておきたいリストの中で、もっとも難しく、おそらく一生に一度しかそのチャンスはないと思っていた「家族で槍ヶ岳登頂」が達成できました。
付き合ってくれた、付き合わざるを得なかった、妻と子どもたちに感謝です^^それぞれが自分の足で歩いてくれないと登頂はお金で買えないですから^^
なので、これで、明日、死んでも、後悔することがなくなりました^^
長崎から2泊3日で槍の穂先まで、家族で往復できます。
夏の家族旅行で槍ヶ岳に登りたい方がいらっしゃれば、
ぜひ、やってみてください^^
(やるわけないか・苦笑)
ヒュッテ大槍からのご来光と朝焼け
槍ヶ岳の穂先を降りて、東鎌尾根の稜線。見えるのがヒュッテ大槍。あとちょっとで宿。
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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。