MY LIFE

多良の森トレイルランニング大会〜修験者コース完走〜

10/18(日)大村市で開催された多良の森トレイルランニング大会修験者コース(距離約40km、累積獲得標高3,400m、制限時間10時間30分)に参加してきました。このコースは、九州屈指のハードコースと言われています。

以下、忘備録です


刻々と迫る関門時間に追われながら、
自分の心と体の限界はどこにあるのか、山の中で格闘する。
久しぶりに味わう達成感でした。
まさか完走できるとは思ってもみなかったですし、
タイムも10時間2分、びっくりです。
何より、怪我なく安全に終えたことにホッとしています。

まずは主催者、多くのボラの方々に感謝です。
コロナ禍でのそれぞれの判断と尽力に感謝です。

修験者コースには途中の関門地点が2箇所あります。17km地点の金泉寺CP1、27km地点の砂防公園CP2(スタートから7時間)。

今回、CP2の関門時間がこれまでよりも30分も繰り上げられました。これをクリアするためには、山の中を7時間動ける体力に加えて、スピードも必要です。なので、体力はあるけれどスピードは全くない私にとってのゴールは、このCP2地点でのタイムアウトだろうなと。
もちろんゼッケン付けてスタートラインに立つからには、どこまでやれるか、ですが。

計画:
CP1まではとにかく体力も脚力も温存。
準備運動のつもりで行く。
目標時間:11:15〜11:30(これを超えると次の関門に間に合わない。スタートから4時間半以内に到着したい)

CP1を過ぎたら、とにかくCP2の関門をクリアすべく全力で行く。一方で、全力で行って(使い切って)到達したら、そこから先の本番、ゴールまでの難所14km(山の登り返し)を乗り越えることができない可能性が高い。

10時間30分の関門時間を超えても40km歩き倒してでもいければと思ってはいたけれど、これはトレランの大会。大会の趣旨に反する。ロードの大会と違い、山の中ではリタイア者、遅延者を車で回収することはできない。自力下山です。主催者は待つしかない。一度山に入ると簡単には下山できない。

一番の不安の種は、膝の故障と痛めた靭帯の捻挫。
これが持つかどうか。走れても走らない、スピードを上げられるけど我慢する。ひとりぼっちになっても他のランナーにはついていかない。捻挫は一瞬でアウトだし、膝のダメージは回復しないから。

実際:
CP1まで、体力も脚力も捻挫も膝も温存できた。他方、途中でコースアウト(道を間違えたり)、手元の距離で行くと到達しているはずなのに、またまたコースロスとしたのか、山の中で天を仰ぐ。結局、実際の距離が1km以上先だったようで、最悪ケースの到着時刻を過ぎてしまった(CP1着は11:43)。

あー、もうだめだ。山の中で、あー、と。
(温存したけど、道に迷って、間に合わないなんてダサい)

CP1ではお友達のT木さんT蔵さんがボラしてくださっていて「まだ間に合いますよ」と励ましてくれた(彼らの脚力なら間に合うんですけど・笑)。とにかく、水の補給とカステラ1つ頬張り、経口補水作って飲んでリスタート(11:48)。

諦めるのはまだ早い。焦るな。

冷静に考えて、金泉寺から五ケ原岳を経由して砂防公園(CP2)までの登山コースタイム4時間45分の道のりを、残り2時間15分で走らなければならない。コースタイムの半分というのは、私にとっては、神がかり。でも、絶対にできない、というわけではない。温存してきたのはこのため。

「五ケ原岳までどれくらいですか?」とT蔵さんに聞くと「1時間弱」という。当日朝、多良を知り尽くしているハマさんに「五家原から砂防公園までどれくらいですか?」と聞くと「1時間半じゃきついです」といっていた。

この状況で、関門突破の可能性があるとすれば、五家原岳まで45分で登る(コースタイムの半分)、そこから90分(同3時間15分)でアップダウンを繰り返しながら下るしかない。
怪我しないように、注意しながら、ガンガン行きました

五家原岳では、お友達の藤岡さん野中さん(奥様)から熱い声援をもらい元気注入(1分が惜しいのでそのまま通過)。

正直、こんなに走れるとは思ってもみなかったです。スタートから5時間経過して、上りをハイペースで、時に走れるわけですから。かなりのランナーに追いつき、一緒に関門目指して走り、CP2に13:47!。

なんと金泉寺から2時間5分で砂防公園に到達。

砂防公園は賑やかで、ボラにはたくさんのラン仲間。
川上さん、馬場さん、寺田さんたちとエアタッチ。

もう完走した気分でした。
(妻にもここがゴールになるだろうと話していたので、関門アウトで)

スタートから7時間。初めて座る。
湾岸の大先輩、稲岡さんと再会(スタート以来)。
ここで初めての休憩。15分ほど荷物の整理、やっとおにぎり一個食べて、妻にLINEしてリスタート。

ここからが本番。
修験者コースがハードコースと言われる所以。
自分がプチ整備したルートが待っている(もっとちゃんとやっておけばよかった・・・ガレ場はルートがわかりづらくてみんなでコースチェック)。

登山口の入り口の誘導で、お友達田中さん(ボラ)が励ましてくださる。かなりのランナーに追いつきました。

この上りも1時間弱で岩屋越しへ(コースタイムの半分)。
そこから春日越しへ戻ってきた。後藤さん(ボラ)にまた会えたー。
フローというか、ゾーンに入っている高揚感。

一人山の中を進んでいると、稲岡さん(橘湾岸の大先輩)に追いつく。少し並走して、ゴールで会いましょう、と先を行く。

遠見山を超え、遠目越しに帰ってきた。ここでもボラの吉田さん、金子さんに元気もらう。早朝から夕方まで、寒い場所でのボラにはホント、頭が下がる。

固定物は全く受け付けない状況だったので、エイドでのゼリーがたまらなくうまかった。シリコンボトルの水は美味しくないがしょうがない。補給した方がよいが早くゴールした方がいい。

最後の上りを超え、郡岳。8時間前、戻ってきたい、戻ってこれたらと思っていたけれど、それが現実になるとは。ここで野中さんご主人とハイタッチ^^嬉しかったです。というか、早朝から夕方まで山頂でボラって、ホント感謝。

あとは下るだけ。怪我しないように慎重に。
最後に、また藤岡さん、田中さんと会い、完走のハイタッチ。
ゴールへ。(砂防公園からまさかの3時間!)

諦めないって口で言うのは簡単ですけど、信じて歩むと言うのは難しいことでもあります。でも、これまで、お友達ランナーの諦めない走りを色々みてきているので、自分にもそう言う気持ちがあれば、少しはできるのではないかと。

去年の年末に膝をやってしまってから、約1年間。怪我と故障の繰り返しで完治せず、ジョグもkm6分が精一杯でそのペースでは5kmも走れない。

膝の治療はセカンドオピニオンどころか4オピニオン。
それぞれ教えてもらった原因、リハビリ、サポーター、筋トレ、テーピング、できることはやってきてよかったなあと。

10時間動き続ける体力と後半の上りに対する自信だけはつけておこうと、先週ロードで65km、翌日、八郎2登をやっておいてよかったです。

ちなみに、
リザーブタンクの水1Lは全く使わず、予備の防寒着も、補給食のうち固形物はほぼ食べず(時間もなく)、どんだけ余分な荷物を背負ったんですか、ってことではあるのですが、それは晴天に恵まれ、道中困っているランナーとも遭遇しなかったからであり、動き続けることができたからであり、山に入ると言うことは、荷物を減らし過ぎないことも大事だと、それが安心感と身を守ることにつながるわけで。

大会があると、目標ができます。それに合わせて装備、ウエアも新調します。経済活動に大きく貢献します。
お友達に会え、新たな出会いがあり、励まし合い、健闘をたたえ合う、元気をもらう、スポーツイベントの素晴らしさです。

来年以降、少しずつ開催が増えていく事を応援します!

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。