やりすぎをほどほどに〜完璧は目指さない〜
コロナ対策、やりすぎですよね。過剰を通り越して、異常だと思っています。
でも、仕方がない、ということで、みんながそれに従うと、それがいつの間にか標準化していく。
表面的にはそれでうまく成り立っているように見えますが、一方で、やりすぎであることは変わらない。やりすぎるということは、どこかで必ず無理をしているわけですから、それは必ずいつかどこかで何かの形で、重大なものは、予期せぬ形で別の問題となって発生してくる。そしてまたその発生した問題を、また、原因を遡ることをせず、これまた場当たり的で表面的なピント外れのやりすぎ対応で対処する。
やりすぎ対応がある一方で、やるべき対応がおろそかになっているケースも多々あります。人間、エネルギーは限られているので、Aをやれば、Bはできないです。
右手は二つない。
家づくりの相談のほとんどは、求めすぎていることを整理することにあります。
求めている内容というのは、本当に、本人が心の底から求めているものばかりではありません。周りからの情報もあれこれ含まれていて、それがいつの間にか、自分は本当は何を求めているのか、わからなくなっているケースが多いのです。
つまり、あれこれ考えているうちに、自分が何を求めているのかを真剣に考えるエネルギーが失われてしまい、いつの間にやら、周りに振り回されてしまうパターンって多いのです。
右手は二つない。
自分の求めているものに加えて、外野からのなんとなく求められているものまで、同じ右手でつかむことって、できないんですよね。左手があるじゃないか、と言いますが、左手にはリアルに自分の経済力とか物理的な問題とか、そういう感情とは別の要素の問題を解決するために、空けておかないといけない。
私たち小川の家は、
家族が心豊かに健康にお金に困らない暮らし
子どもがのびのび生きられる日々
笑顔で子育てできる
これらを叶えることに絞っている。
あれもこれもは無理なので、あれかこれか、です。
いちばん大切なものが今の住まいでは手に入らないんですよ、小川の家のお客様の暮らしに「いいな」と感じる人は。
でも、いちばん大切なものを手に入れた家族や子どもたちの笑顔って、それは「ほどほど」でよし、と決断したからなんです。右手に持てるもの、つかむものを、あれもこれもではなく、これ、に決めた。
完璧ではないですよ。
そもそも完璧なんてものなんてないですし。
完璧があるという前提で、家づくりをやるとうまくいかない。
コロナ対策で、リスクゼロがあるという前提で、目指すのと同じ。
小川の家も小川の家の家づくりも、完璧ではない。
完璧を目指すとぶっ壊れる。
いちばん大切なものを失ったまま生きる、子育てすることになる。
それって本当に満足できるのだろうか、と。
それって本当に後悔しないのだろうか、と。
それって本当に望んでいることなのだろうか、と。
住宅会社、モデルハウス、住宅展示場、モデルルームに相談に行けば、アレコレ勧められる。お金は青天井。夢に夢を、上に上を、となる。
やりすぎ、ですよ。
他方、価格に魅力を感じて物件を見に行くと、やっぱり安物かあ、と。ここには、これには住みたいくない、となる。これはこれで、下方向で、やりすぎ、です。
正直、バカにすんなよ、って思うぐらいがちょうどいいと思います。安けりゃいいってもんじゃない。
生きていく、よりよく生きていくには、不安より、希望があったほうがいいと思います。
じゃあ、希望ってどうやって持てるかとなると、二つあって、誰かが掲げた希望を自分のものとする(例えば、政治家の公約)。もう一つは、自分が希望を持てるような選択、決断、判断をして、実行していく。
笑顔で、安心、安全、健康、快適に、お金に困らずに育児、子育てができる庭のある自然素材を使った木の家を、自分が希望するエリアで「行政が公営住宅として提供してくれる」という政治家を求めるのが他者依存型の希望。それを自分でやる、自分でできる範囲でやる、というのが主体的な希望。
やりすぎ、から、ほどほど、に。
妥協が必要ですが、正しい妥協をするってこと。
今の住まいで生きること、子育てすることに希望が持てないのであれば、住まい選びで間違った妥協をしているということ。正しい妥協にシフトする。そのお手伝いを全力でさせて頂きます。
これとこれを妥協してもらえたら、いちばん求めているものが手に入ります、どうなさいますか?
↑これをまず最初にやるのが、無料の家づくり診断サービスです。
資料請求された方は、ぜひ当サービスを活用されてください。
スマホ眺めているだけじゃ、不満が蓄積されるだけで、つくり笑顔のストレスが増すだけですから。