精霊流しでわかる、人は必ず死ぬ。その日がいつか、誰にもわからない。
2020/8/15,精霊流し
7月上旬、親戚&お友達のアツシさんからメッセが入る。
「去年亡くなった義父の初盆で、親父が船作って、精霊流し出すんですけど、ハヤトさんご家族で曳き手で参加しませんか?」
「まじっすか!よろしくお願いします!」
子どもたちに、経験させたいのです。長崎で生まれ育った人間として、この精霊流しとは何かというのは、教科書で伝えることができるものではないからです。
尋常じゃない量の爆竹をならしまくる、クレイジーな、そして、ゴミを多量に出す、環境破壊そのものの、この風習。
今年はさらにコロナの影響で、例年の半分以下の船。
私たちがガキの頃は、夏休みに入れば、爆竹鳴らして海や山で空き地で遊んでいたわけですが、今は、そんなことしたら、通報です(苦笑)
我が子は初めての経験で、最初はビビりまくっていたのですが、諸先輩のお兄さんがたに手ほどきを受け、メインの県庁坂では、もう箱ごと火をつけて投げて、慣れたものでした。
私が小中学校の頃は、田舎(香焼)で、祖父が自治会の代表みたいな感じで、自治会で船をつくって、精霊流しをやっていました。当時の香焼では、最後は、桟橋から漁船に精霊船を乗せて、小さな漁港の中を、3回回って、最後に船からたくさん花火と爆竹鳴らして、沖合へ。伊王島の沖まで行って、そこで精霊船を海に流していました。私も一度だけ、その船に乗せてもらってついていったことがあります。今でも鮮明に覚えています。
街中での精霊流しの経験は、28年前(大学1年)、海外出張中に事故で急逝した叔父さんの時。三原から大波止まで。最後は、クレーンで、バキバキって処分されて。そのなんとも言えない光景は、今でも焼きついています。
人は必ず死ぬ。お迎えが来るのがいつなのか、本人はもちろん、周りの誰にもわからない。
最近読んでいる書籍の中の一冊
古典、名著といわれるものは、単刀直入に言い切ります。
「先延ばしこそ、生の最大の浪費である」
相談者の中には、遠い将来のことをあれこれ思いを馳せ、一方で、目の前の、今の、子どもと過ごす日々を、犠牲にする人も多い。私ができることは気づきや別の視点を与えること。
3年後どころか、1年後にも、家族みんなが生きている保証など、どこにもない。その事実を踏まえて、今を大切に生きることに徹しようと誓った精霊流しでした。