人はなんで生きるか
ここ数年だと、本は年間100冊弱読むと思います(全て読了するわけではないです・笑)
いわゆる読書好きではありませんが、本は読みます。生きていると、働いていると、経営していると、父親だと、誰でもそれぞれその時々で悩みや困りごとがあると思いますし、それに対して、どうすればよいか、そのヒントや答えを教えてくれる、気づかせてくれるのが、先人の知恵、読書だと思っています。
このトルストイの「人はなんで生きるか」
今の私に、ものすごくズシリときました。
人間の中にあるものは何か
人間に与えられていないものは何か
人はなんで生きるか
子育てを優先した家づくりは、これから人が、子どもたちが、母親が、父親が、夫婦が、家族が、どう生きるか、という選択、判断をしていく作業です。他人である相談者、お客様ご家族と共に向き合って、共に歩む日々というか、人生になっています。
同時に、一人の父親であり、経営者であり、社員とその家族の人生にも責任があります。
人間に与えられていないものは何か。
この人は一年先のことまで用意しているが、この夕方までも生きていられない事は知らないのだ
自分の肉体のためになくてはならぬものを知ることが与えられていない、
あの母親には子どもたちが生きてゆくためには何が必要であるかということを知る力が与えられていませんでした。
どんな人にだって、自分に必要なものが何かを、知る力は与えられていないのです
日々、必要なものは何かを問い、それなりに、これが必要だと判断しているわけですが、実際には、本当に必要なものが何かを自ら知る力は与えられていないと。それは私だからではなく、人間には、ということ。
人間の中には愛がある
人は、愛によって生きる。
子育てを優先した家づくりは、要するに何かと聞かれたら、「愛」と応じていた。
何が必要かどうかは、ひとまず置いておいて、愛だけを意識して生きていきたいと思います。