子育て「優先」という偏り
子育て「優先」の概念に対して
「親のことを無視する」と受取る人もいる。
私は子育て主義ですが、かといって親である私たち夫婦が自分自身のことを犠牲にしているわけではない。私たち夫婦がよりよく生きることに「子どもが豊かな心で健康に育つ=子育て優先が含まれている」という捉え方をしているにすぎない。
子育て優先=親が犠牲になる
と捉える人もいる。
こういう捉え方をする夫婦は、子育てを優先するしないに関わらず、子育て自体を親の犠牲と認識しているのではないだろうか。
何かを優先するとき、優先されなかった物事(当事者)は「(相手に)偏っている」と認識する。
小川の家は「子どもが豊かな心で健康に育つこと」にこだわっている=最優先しているわけですから、そういう意味では、「できれば子どもをのびのび健康に育てたい」という子育てオプション派からすると、十分偏っています。
これは子ども側というより、「豊かな心で健康に生きる」側です。
何と比べて偏っているのかというと、実際には親の都合云々ではなく、単なる「目先の安さ、利便性、容易さ」最優先とは180度反対側をちょっとだけ大切にしているに過ぎない。従って、小川の家は、田舎暮らし、自給自足生活ではない(笑)※私もそうですが、利便性の高いエリアで暮らしている。ただ密集地ではない、というだけ。
ちょっとの違い、のようで、大きな違い。
大きな違いとは、根本的な違いがもたらす結果。
いまの住居で暮らし続けることが、自身、家族、子どもたちそれぞれの豊かな人生がより豊かなものになることが期待できるのかどうか。
来年の梅雨の暮らしを、どこでどう味わいますか?