MY LIFE

「いつかそのうち」では必ず実現しない

9.11 世界同時多発テロ

3.11 東日本大震災

テロと地震はまったくちがいますが、共通するのは「世は無常である」ということを私たちに具体的に突き付けたことではないかと思います。

私は「世は無常」観で生きている者の一人です。
明日、生きているという保証はなにもない。
人生いつ終わるかなんてわからないから、精一杯、後悔しないようにやりたいこと、やっておかなければならないことは、思い立ったとき、できるときにやっておこうと、そう決めて、言い聞かせて生きています。

そんな私は3/11(日)~3/14(水)2泊4日の弾丸スケジュールでsingaporeに行ってきました。
目的は、恩師:T先生(福岡大学)とともに、我が恩師:Nさんに会いに行くこと。
Nさんを紹介して下さったのがT先生。
いずれも私の人生に大きな影響を与え、視座を高めて下さる方です。

海外赴任して3年。ざっくりいうと3年前の赴任直前に、シンガポールで再会しましょうね、と約束した。それを果たすために。

「そのうち」なんて、あてにならないな。いまがそのときさ。スナフキン

旅って、そのうち、いつか、行きたい、会いたい、やってみたい、まさにその対象です。
私はどちらかと言えば、旅好き。これまで数えると22カ国訪れている。
行ってみたい、見てみたい、かの地で会いたい、そういう単純な理由と目的ばかり。

シンガポールでお酒を飲んで、ジョギングして、

たくさん語り合って議論して、
美味しいご飯を食べてただ、それだけです。
でも、そういうことが人生でできるかどうか。
やった人生とやらずに死ぬ人生とでは、私は前者を望んでいる。

3.13は私に「世は無常とは何か」を具体的に突き付けてくれた日です

私が18歳。叔父がまさにその日、出張中のアフリカで不慮の事故死。
遺体を引き取りに遺族の一員としてアフリカに行きました。私の初海外です。
高校の卒業式を終えたばかり。
第一志望の大学受験に不合格
第二志望の大学の後期試験を受けた直後、でした。

「世は無常」は古典の授業で知った言葉
知識としては知っていても、それが実際にどういうことなのか、それをわからせてくれたのが、叔父の急逝でした。

家づくりの相談やお問合わせには、殆どの方が、いつか、いつか、そのうち、数年以内に、と人生計画を述べられます。生まれたばかりの赤ちゃんを抱えながら、この子が小学校に上がる頃までには、という。

3.11 私たち多くの日本人とその家族に突きつけてくれたことは
「家族は、親子は、かけがえのない存在である」
「家、すなわち、安全安心して暮らせる場所が、どれほど大事か」
「空気や水、食べ物の安全性が、どれほど大事か」
なにより冒頭書いた通り「世は無常である」ということ。

明日も明後日も5年後も10年後も、いまと同じようにあると思っていたものが、突然なくなったという現実。

世は無常というのは現代社会の話ではなく、人類史上が始まってからずっと普遍的に続き、実証済みの物理の法則のようなものだと思います。

「世は無常」なのに、いつまでも今と同じ状態がこれからも続くと思っていたりするし、何もしなくても好転すると期待していたり、逆に、ありえないほど、不安に陥ってみたりする。

家の相談の場合

妻は子どもと自分の心身の健康のためにできるだけ早く今の暮らしを変えたいと願っている、願い続けている。だから資料を請求したり、体感会へ足を運んだりする。夫に理解、協力を得られるよう、家の話を気を使いながら少しずつする。

他方、夫は、できるだけ先送りしようとする人が多い

枝葉の指摘を繰り返す、妻に説明を求め、納得できないとまた先送りする。
(こだわりがない、という。であるならば、妻が真剣に考えて選んできたわけだから、それでいいではないか、と僕は思う)

家を建てないとは言わず、いつかは建てるというが、それがいつかは明示しない。そのうち、という。

(先送りするほど、定年までの期間は短くなり、残された稼ぐ力は減る、つまり、経済力は減少し、予算(物を買う力)が減る、すなわち、買える範囲=要望を叶えられる範囲が減るという事実には目を向けず)

「いつかそのうち」は実際に、その日はくるのだろうか。

逆に、気がつけば、手遅れになっていたら、それは想定しないのだろうか?

ある日、帰宅すると置手紙があったり。

ある日、通学中に我が子が交通事故に巻き込まれて不慮の死を遂げたり。

ある日、経済的に大黒柱の自分が、住宅ローン融資を利用できないような病気を患ってしまったり。

そんなことは、実際には世の中にはあるわけで、自分と家族にはありえないといえるのだろうか。

「あー、あのとき、家を建てていればよかったな」

先送りしすぎて手遅れになる、なんてことはたくさんある

セール品を買い損ねることと、家を建て損ねるのとでは人生の後悔度、失敗度の次元が違う。

******
アフリカでなくなった叔父は、当時、家づくりを進めていた。
海外出張では何が起こるかわからないから、という理由で、
出発前に、工事契約まで終えて、旅立った。

残された家族には、家族が安心して永く暮らせるしっかりした家が遺された。
4人兄弟みな、大学まで卒業し、結婚して、孫が5人。天国から見守ってくれていたのだろう。

叔父の気持ちはわからないが、
建設工事契約まで済ませておいてよかったと、
やるべきことを前倒しでやっておいてよかったと
当時18歳だった私にはわからなかったが、
いま、3児の父、妻を持つ私なら、先送りせずによかったと心の底から納得する。

なにかをやるときに、すべての状況が整う、なんてことはないわけです。

うまくいくかどうかは、やるかどうかを判断する際に、その目的と優先順位をまちがえないように、
つまり、いちばん大事なことは何かをしっかり考えて、その方針に従うことだと言われます。

いつか、そのうちという夫、妻は、絶対にあり得ない「すべての状況が整うこと」を決める前提とする。
その前提は絶対にあり得ない(不足するものが出てくる)、だから、いつかそのうちは、永遠に実現しない。1mmも進歩しない。解決しない。

「そのうち」なんて、あてにならないな。いまがそのときさ。スナフキン

**********************
家づくりに関するお問合わせ
info@ogawanoie.jp,  095-879-7888

  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク
  • @LINE

私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。