「苦労したかいがありました」
ちょうど5年ほど前、取材がきっかけで親しくなったNHKディレクターのAさん。
3年ほど前、東京転勤となりましたが、
事あるごとにお付き合いさせていただいています。
ひと月半ほど前、上京の折、奥さまとご一緒に
おススメのお店で「レア」なワインと料理をご馳走になりました。
近況報告や雑談の中で、
「ようやく、企画が通りまして。
(参考文献をいくつか私に解説してくださりながら)
3月7日放送予定で、これから忙しくなると思います」
という話がありました。
その番組が昨日放送されました日曜美術館
内容はもちろん、素晴らしいものでしたが、
番組エンディングで、
ディレクター A の名前を確認したとき、
体が震えるほど、なんだろう、伝わってくるものがありました。
ご多忙とは思いましたが、さっそくお祝いのメールを。
すぐに届いた返信には
「ありがとうございました。
苦労したかいがありました。
小川さんのご活躍をお祈りしています」
と。
しびれたし、カッコいいな、と。
なにかと
「儲かりますか?」
「得しましたか?」
といった尺度が、物事に取り組むか否かの判断基準となりがちですか、
「苦労したかいがありました」という表現に、
いろんな苦難、葛藤とか、
損得勘定という分かり易さを超えたものを
乗り越えたところの景色をみているAさんの姿が伝わってきました。
※子どもたちに「この番組を練り上げたのは、パパの親しい人なんだよ」と自慢しちゃいました。