強さと優しさと意欲
(写真:小川陽子)
おかげさまで、小川の家で、千代の幸で、我が家の3人は元気に育っています。起八と行平は、外で遊びすぎて、二人揃って同時に熱まで出した(苦笑)
※病み上がりの起八に遊んでもらう、一人元気な奈南
奈南も遊びの仲間入りできるようになってきました。
明確な意思表示は、3人通ずるところであり、「親に似て」といわれても仕方がない(笑)
親なので、子育てしていると、「この子はどんな人生を歩むのだろう」と並行して「どんな人間に育って欲しいのか」という親の想いというのが、事あるごとにジワッと出てきます。
今の心境としては、
【生きる意欲を持ち続けることができる人間】に育って欲しいし、放置しておいてそう育つことはありえませんので、親として何をすべきか、できることは何か、を「してはいけないことは何か」と合わせて夫婦で考えています。
どんな状況・環境にあっても、置かれても、意欲があれば、きっと何らかの楽しみや生きがい、やりがいを見出すことができると思うのですが、その姿勢がなければ、「人生はつまんない」と捉えながら、貴重な命を消化するだけの人生になってしまうのではないか、と思うのです。
少なくとも私は、自分の人生をつまんないものにはしたくない、という強い意志がある。
人生を有意義なものにしようとする意欲がある。
決して有能なわけでもなく、偏差値が高いわけでもないが、
尊敬できる人たちと縁あって関わることができ、
彼らから様々なことを教えて頂き、勇気や希望、
支え合いながら、充実した人生を過ごせている。
どちらかというと、現代社会の賢い生き方の概念や枠組みは目先優先=場当たり的な判断で、目先をしのぐことを優先させることを奨励する。そういう社会的背景を踏まえ、個人も各家庭も企業も仕事も目先をしのぐことを優先する傾向にある=往々にして、安易でラクな道を選択する。果たしてその結果、各家庭の、子どもたちの人生はどうなるのだろうか。
「ソロスは警告する」よりある一節を紹介します。
現在のパラダイム(概念枠組み)は、
既知のリスクのみを認めており、
自らの欠陥や誤解がとんでもない結果をもたらしうる可能性を受け入れようとしない。
その傲慢さこそが現在の金融危機の根っこにあるのである。
引用:「ソロスは警告する」 p138 講談社刊
(難しい表現ですが)この一節は金融危機に関するものですが、「金融危機」という部分は、現代社会や各家庭・個人が抱える問題に置き換えることができます。
私の専門で言えば、「安さ便利さ目先の(親の)都合最優先の住環境が子どもの心身の発達、成長、子育てに与える影響」について、過小評価し(=誤解)、放置することによって、それが我が子や家庭にとんでもない結果をもたらしうる可能性を受け入れようとしない姿勢は、(いろんな意味で)マズイんじゃないですか、ということになります。
考えさせられる深い文章でしたので、紹介させて頂きました。