「始まった」ではなく「始めた」
書籍出版の執筆・編集と
昨今の読書の質・量の影響か
見聞きする何気ない言葉のニュアンス、語尾や表現に
様々な意図が含まれていることを感じるようになってきました。
ラジオにて
○○年○○月○○日、○○戦争が「始まった」。
正しくは、
始まったのではなく、始めたではないか?
起きた、のではなく、起こしたのではないか?
どんな事情・経緯であれ、
戦争に限らず、天災地変を除けば、
その多くは人為ではないか?
特に戦争に関しては、
人類が始めるわけで、
ほんの数十年前のことでも「始まった」と評されると、
私の感覚では「他人事」感が否めず、
天災地変と同様の表現をすることに違和感を覚える。
お盆も終わると選挙も本格化します。
大多数の国民が小泉・竹中氏を支持したからこその現状であり、
(支持したことの検証を抜きにして)
彼ら二人だけが極悪人扱いされる風潮に違和感を覚える。
※小泉・竹中氏を支持しているというわけではなく。
利己主義と自己責任のはずが
利己主義と責任転嫁が表裏する
まさに利己的な傾向が顕著になっているような気がする。
こんな複雑な時代に生まれ育つ
無垢な子どもたちに
私たち親や社会は
何をすべきなのか
子育てのおかげで、
より深く考えるようになってきた気がする。