象形文字(漢文)を読み返してみる
前回の投稿から妙に「漢文を原文で学ぶ意義」を考え込んでしまった。
「役に立たないものはない」
という言葉があるにも拘らず、
「役に立たない」という表現・評価・判断は存在する。
教育関係者は、高校時代に「漢文を原文で学ぶこと」が人生の中で非常に有意義であると判断して、履修科目としているはず。その意図を安易に「受験のため」と解釈してしまっていた私の認識の間違いかもしれない。
なので、休憩代りに、これからしばらく、高校の教科書を眺めてみることにしました。私の現在の思考のDNAの奥深くに「漢文(原文)を学ぶことによって得られた何か」が埋め込まれているかもしれないから(苦笑)
子どもたちの躾には
「ダメなものは、ダメ」というのが良いらしい。
それと同様に、
「黙って、(漢文の原文を)読みこなせ」が有意義なのかもしれない。
教えてもらい、学んだはずのことが「役に立たない」のではなく、
私が単に「役立てることができない」だけではなかろうか。
私は何とかして漢文を原文で学んだ意義を見出したい。
そうすれば、
教育は、教育である。
と子どもたちにも教えることができるから。