思考の修行
20代の海外旅行離れ という記事が目に止まりました。
暮らしに「余裕」がなくなっているとのこと。
私の場合、20代どころか、30代、結婚、父となってからも年に1度は海外一人旅(自称:遊学)へ出かけるよう心掛けているわけですが、決して「余裕がある」からではありません。※妻と家族の理解と協力あってのこと&懐にも余裕はありませんが(苦笑)。
12年前に、前職を辞めて、長崎に戻ってきた時、
「年に1度、2週間の休暇をとり、海外へ行く」と決めたことを覚えています。
仕事、お金、家族、時間、諸々考えると
一般的には「そんなの無理」となるのですが、
できるかどうかは結果論であって、
ともかく「そういう時間をつくる」と決め、
可能な限り、世界を旅してきたことが
今の私の思考の基軸になっていることは間違いありません。
当時の私の理屈はこうでした。
○私は、浪人も、留年も、留学も、就職浪人もしていない。
○浪人などで「(自分の人生や生き方、進路を)考える時間」として人生のうち1年費やすのは許されて、働き始めて2週間休暇をとると、罪人みたいな扱いをするのは変である。
○1年留年(=52週間)したと思えば、2週間/年×26年分ある
○故に、留年するかわりに、これから26年間、毎年2週間は「考える時間」に費やす
おそらく、致命的な失敗の原因の多くは、
「考える時間のなさ」から来るのではないかと思います。
視野が狭ければ、どうしても選択肢が限られるし、
何事かに追われていると、目先の問題解決に消耗してしまう。
私たち小川の家では、相談者に対して「考える」ことの重要性を伝えています。
家族にとって、何が大切なのか、
そのためには、今、何をなすべきか、
を私自身が自問するのと同様、
相談者の方々も自問されていると思います。
じっくり考えて、素早く行動する。
「どれだけ考えたか」は、表面には出ませんので、傍から見ると「あっさり」決まっているように思えますが、小川の家を知ってから、集中していろいろ考えたであろう時間を計算するとおそらく、かなりな質・量のはずです。そうでなければ、私や小川の家に「お任せします」とは決めきれない。
「年に1度は海外へ」
と計画を練っても、必ずしも毎年行けるわけではありませんが、
無駄遣いをせず、行けそうな気配というかタイミングをはかっていたら、
2年に一度か、3年に一度は、そういうチャンスが巡ってくると信じていますし、その頃には、遊学費用もたまっている(笑)。
冒頭の記事ですが、家庭や子育て、難しい仕事の役割もそれほど抱えていないであろう20代。余裕がないのではなく、視野を広げようという意識が低いと見ることもできます。
ちなみに小川の家の場合、「子どもに良い住環境を与えたい」から行動するのであって、「お金に余裕があるから」家を建てるわけではありません。