祖母の98歳大往生に考える、明日死んでも後悔しないか?
一昨日、祖母が永眠。享年98歳。
日曜日の朝から枕経〜お通夜、昨日告別式と慌ただしく過ぎていきました。
晩年10年間はグループホームに、2ヶ月程前に肺炎等で入院。
孫9人のうち、最後の独身の結婚式を先週見届けて、
一世紀の人生を終えました。
この1ヶ月は週に2〜3回程、お見舞いというか、最後を見届けに、
病院に立ち寄っていたので、
人が高齢、老衰で死んでいくというのはどういうことなのか、
学ぶ機会となりました。
親戚が集うのは、結婚式かお葬式かぐらいなので、
従兄弟たちと十数年振りに再会することもできて、
それぞれの感謝の気持ちを祖母に伝えながら見送ることが
出来てよかったのではないかと思います。
施設でも病院でもスタッフの皆様に大変親切にして頂き、感謝です。
私も必ず死ぬわけですが、
それがいつ、どんな形になるかはわからないわけで、
毎日大切に、明日死んでも後悔しないように、
価格と価値ならぬ、命と価値を考えながら生きていきたいと思います。
追伸:
父親として、家を建てる、家を持っているということの意味は、
自らが死んだときに、愛する妻と子ども、家族が
路頭に迷わずに住む環境を整えているということ。
残された家族が住む所を心配しなくてもよい、
という担保、保証というのは
安心、安全、幸せな人生を支えてくれます。