MY LIFE

橘湾岸103km④〜島原城57kmから雲仙87.3kmリタイアまで〜

もうあの苦しみを殆ど忘れ、次の大会をどうしようか思案中です。

島原城57kmから眉山ロードの上り。

一緒になったのが太宰府走ろう会のベテラン・シニアランナー。
萩往還(250km)を複数回完走、橘も同様です。
淳さんはこの大先輩と話しながらイイ感じでペースを刻み、僕は離されすぎないようについていく形で2時間弱。
家族との合流地点である平成深山展望園地(66km)に到着^^
目標到達時刻の10時より、45分遅れでしたが関門(11:20)をクリア。泣けてきましたね。

66km地点で息子と^^
ここで淳さんとはお別れ。とにかく完走して欲しい!と。
僕はいけるところまで、ネバーギブアップで。
急な下り坂を4km。水無川大橋(70.5km)の無人エイドで、休憩中の男性がいました。
あいさつを交わして、みかんを補給したら、
その方が「私はここでリタイアです。いま収容車を待っています」と。
握手して「よく頑張りました!」と。
一緒にいた女性ランナーとねぎらい、3人で涙でした。
ここからかなりスイッチ入りました。
無理せずに行って、関門タイムアウトという消極的レースではなく、走れるところまで走ろうと。先行する淳さんに追いつくことを目標に設定。
ここから「上りは歩く」という私の完走の鉄則を放棄(苦笑)。
次の関門である深江運動場(74.2km、12:40)を12:10頃、
エイド毎に、淳さんとの差(約20分)を確認しながら、
完走を目指して栄養補給だけはしっかりして、休憩時間最小で進みました。
俵石展望所(79.8km、14:00)を13:20頃、このままいければ、雲仙温泉15時の関門はクリアできるというところまできたのですが、着実に体が悲鳴をあげていくのがわかり、急激に動かなくなっていきました。
急な上り坂ではありますが、歩き続けることすらできないので、ちょっと進んでは立ち止まり、ガードレールを支えにしながらという状態まで。
1km進むのに、20分、30分かかるようになってきました。
最後は、数百メートルに数十分。
結局、雲仙温泉(87.5km)に到達したのはスタートから15時間15分後の15:15。
エイドも撤収が始まっており、今年の挑戦が終わりました。
12時間前に体調不良を感じたときから考えると、よくも12時間も体が持ったと。
淳さん、他のランナー、ボラエイド、家族の応援と、島原半島の美しい景色のおかげです^^
振り返ってみると、自分の鉄則を守って、最後の最後まで焦らずに足を残せば、雲仙関門はクリアできたかもしれません。
一方で、足は残っていたけど、間に合わなかったという結果もあったわけです。失敗しても、後悔しないという選択でいくと、今回の判断はよかったと思っています。完走はできませんでしたが、山越え二つまで行けたので。
橘エントリーを決めたときに購入したGPS時計の記録をアップしておきます。7000kcal、累積上昇高度2,700m、87.3km、15時間半の記録です。来年はこの赤い線をきちんと一周ゴール=スタート地点までつなぎたいなと、確実に、リベンジモードに入りつつあります^^

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私が書いています

代表取締役 小川勇人(おがわはやと)

代表取締役 小川勇人おがわはやと

1973年長崎の小さな工務店の長男として生まれる。2000年頃、シックハウス症候群と様々な社会問題が子育ての住環境に起因していることに気づく。以降、子育てを優先した家づくりに徹する。日経ビジネス誌にて「顧客の人生を助ける善い会社」として紹介(2015),著書「暮らしは変えられる」(2008)#妻と二男一女#ウルトラマラソン#登山#MBA(長大大学院,2014)#熊大工学部(1996)#長崎東#福大非常勤講師

暮らしは変えられる 「子育て優先」という選択 小川 勇人  (著) 小川 勇人のFacebook
子育ては、小川の家。