家づくりに親の稟議はいらない
「オヤカク」という造語があるそうです。
以下、記事。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_1013.html
要するに、自分の人生における重要な意思決定、物事の判断に関して、
親に承諾を得る、ということです。
(親の意向にあわなければ、やめる)
これはすなわち、自分の人生を自分で決めることができない。
つまり、年齢は成人ではあるが、自立した大人ではないことを意味する。
家づくりにおいては
経済的には自立しているものの、
直接の利害関係者ではない親の承諾をとらなければ物事を決定できない、
判断できない夫婦は案外多い。
ここでいう直接の利害関係者ではない、という意味は、
・親の土地に建てるわけではない
・建替えではない
・住宅ローンの連帯保証人になってもらうわけではない(現在は、保証会社が保証するので、親族に連帯保証人になってもらう必要はない)
・2世帯住宅や同居ではない
ということです。
親に判断してもらうことを生き方の方針としている人もいる。
それはそれとして、ひとつの生き方です。
ただ、親に判断を委ねて、その結果、満足のいく人生にならなかった場合、
その責任(原因)はだれにあるのか?
親、ではない、親に委ねた自分にある。
ところが、オヤカクする人に限って、責任転嫁する。
結婚相手を親に決めてもらう、という人もいるでしょう。
それでは、自分が親になったとき、自分の子どもの問題の判断を、
祖父母に委ねるのか。祖父母が死んではじめて、自分で親として振る舞うのか。
いつまで、どこまで、何に関して、親の稟議をとるのか。
自分と家族が住む家を
自分で土地から購入して、
自分たちのこれからの稼ぎで支払っていく家づくりにおいて、
親の稟議など、いらない。
もし援助金に稟議のヒモがついているなら、断ればよい。
自分が望む暮らしが叶う住まいを手に入れるとは、
自分で自分が考えて、信じていることを実行するということです。
親の稟議をとり続けるとは、
親が望む人生を自分が演じることを意味する。
子どもが住むマイホームなのに、親が望むマイホームを、子どもが借金してつくることになる。
自分が住む家を自分で判断してつくりあげて行くという行為は、
真の意味での親からの自立、自立した大人へのプロセスでもあります。
だから、小川の家のお客様は皆さん、自信に満ちた生活を、人生を過ごされている。
それは自分で考えて、物事を判断したからこそ、自分が望む暮らしを叶えたからです。
雑音は常にある。
価値観はひとそれぞれ、置かれた状況はそれぞれちがいます。
実家で別々に暮らす親にとっての「よい」と、
今の住環境で暮らす自分にとっての「よい」とはちがう。
抱える切実な問題もちがう。
それにイチイチ振り回されていては、かけがえのない人生と命を無駄に過ごすことになる。
最後に、有名な言葉を紹介します。
「人生は限られている。だから誰かの人生を生きて時間を無駄にしたりしてはいけない。他者の考えに惑わされて、自分自身の心の声を聞き逃してはいけない。(スティーブ・ジョブズ)」
「あなたのことを思って」「心配だから」という言葉で、
実は、親の思うように子どもをコントロールしたいだけだったりするわけです。
※反論すると「子育てを失敗した」「そんな子どもに育てた覚えはない」と宣う。
真に子どもの自立や幸せを願っている親は
「自分でよく考えて、あなたの好きなようにしなさい。あなたが住む家でしょう」とおっしゃっている。
まあ、ひとこと、言った言わない問題はあるかもしれませんが、
結局は、子どもや孫が心身健康に暮らしているかどうかが最も重要であって、
それ以外は、大した問題ではないのです。
家を建てるということは、経済的にも社会的にも自立した大人になるということ。
自立した大人になるためにも、親の稟議をとるのはやめましょう。