叔父の命日
先週の【3月13日】は、叔父の命日でした
エンジニアだった叔父が急逝したのは22年前の1992年。
出張先のアフリカ:ケニアにある地熱発電所での点検中のことでした。
当時の私は、高校卒業直後で、第一志望に不合格、
後期受験を終えたばかりでした。
朝、母の嗚咽で目を覚ましたことを覚えています。
そして、急遽、叔父の遺体を引き取りに、遺族の一人としてアフリカへ行くことになりました。
これが私にとっての人生初の海外でした。
世界は広く、アフリカの大地はどこまでも続いているようで、
私の進路未定の悩みなどちっぽけなことに気づきました。
なにより「世は無常」の意味を痛感。
叔父は家庭の事情で大学進学を断念し、
三菱重工長崎研究所に就職。
学歴はないものの、エンジニアとして奮闘し、
数カ国語を習得し、トライアスロンにも精を出し、
努力の人だったと記憶しています。
そして、アフリカの宿舎のデスクには、
工学博士号を目指した博士論文が提出を待つばかり、という状態で置いてありました。
さらに、自宅の建替えを控え、工事契約を済ませて、出張に出た矢先のことでした。
私の人生にとっては、大きな出来事であり、
生き方にインパクトを与えたことはまちがいありません。
3月13日は、静かに手を合わせ、
明日死んでも後悔しないように
今日一日を大切に生きようと、
改めて誓いました。