ほかのヒト・モノと比べて判断しない
先週は
・T邸(諫早市西部台)
・K邸(長崎市畝刈)
の2邸が完成しました。
どちらもお客さまから<小川の家>へ
資料請求→ご相談→家づくり診断→面談→依頼→
計画立案から企画設計、施工を一貫してご依頼いただき、
約1年数か月がかりで今週を迎えることができました。
Tさま、Kさまは、見える部分では
職業、年齢、家族構成、収入、自己資金、
ご両親はじめご親族との関係など
長崎県内で、子育て中という事以外は
共通項は何もありません。
共通しているのは、価値観&生き方の部分
・家族が心豊かに健康に暮らせる家が欲しい
・子どもをのびのび健康に育てたい
・今の住居(アパート,マンションの一室)でこれから数十年間、
子育て&暮らし続けるのはイヤ
ということ。
+αとして
「いま、何とかしよう!」と決断した時期が
同じだったということぐらいでしょうか。
※資料請求、最初のご相談時期はちがいます。
同じ時期に、同じ会社に、小川の家のような小さな会社に、
家づくりを依頼した二組のご家族ですが、
それぞれのご事情、お考えやご要望、
その背景はまったく異なります。
当然、完成したモノ
・建築地
・敷地の広さや形状
・周辺環境
・建物のサイズ、間取り、形状
・設備
はちがいます。
私たち小川の家は、
Tさま家族にとっての最適解
Kさま家族にとっての最善解
をそれぞれのご事情やお考えをよくヒアリングし、調査し、
正しく理解することからはじめ、
「どうすればよいか」を個別具体的に考え、提示・提案し、
それぞれが抱える課題をひとつひとつ解決し、
家族の人生の拠点を考え方も含めて
構築してきたこの1年間だったわけです。
多くの人は、他のヒト(家族)や他のヒト(家族)が所有しているモノと、
自分のそれとを比較して、満足したり、ストレスを感じたりします。
子どもの成長を周囲の子どもと比較する傾向があるように、
家づくり=一生に一度のマイホームとなると、
分かってはいても、無意識のうちに、
他人との比較で評価・判断してしまう状況に陥りやすい。
本人たちはOKでも、周囲からのモノに対するあーだこーだの枝葉の話に不安にかられ、不満を抱くようになったりする。
周囲は自分たちの見えない部分の状況を何も知らない、
理解しようとしていないにも拘らず。
例えば、
年収500万円の人が
年収1500万円の人と同じものを
当然のように要求するのが家づくり、マイホームの比較検討の実態です。
例えば、
我が家の懐具合を把握することもなく
〇〇さんは△△だったとか
もっと〇〇しておけばいいのになど。
そんなバカな、と思われる方も多いでしょう。
でも、当事者になると、気づかぬうちにそうなります。
そして実際に年収1,500万円の人や
両親からの援助金◯千万円の家族のマイホームというモノだけ比較して、
ストレスを感じたり、不安になったりしちゃうわけです。
より良いものを薦める
より良いものを作りたい
というモノづくりに関して、物理的に、エンジニア的に、
そういう潜在的な欲求はあるわけですが(当然、コストは無限大に跳ね上がる)
そこには「顧客(依頼主)」の存在というか、
実情が見えなくなってしまう時があります。
これって怖いことなんです。
依頼主側も他と比べて○○という物差しがあり、
依頼主自身の身内や周囲から××という物差しをあてられ
造り手側も○○と比べて、もっと良いモノという物差しがある。
なので、私が心掛けている物差し(判断基準)のひとつに
「依頼主自身の今(従前)の住環境と比べて、どうか」があります。
ある意味、この物差しに徹しないと、
収拾つかなくなるわけです(苦笑)
収拾がつかない、とは、
要するに、実現しない。
実際には
・依頼主が抱える一番困っている問題を解決できない
・依頼主の望むもの、大切にしたいものをひとつも叶えることができない
・無意味な不安、不必要な不満を生むだけ(しかも解消しない)
となる。
あるいは、
せっかくモノは手に入れても、(他と比べて評価し続けることで)
得られたモノが提供してくれる暮らしや生活、人生に
感謝も喜びも幸せも感じることができない、
となってしまう。
それってやっぱり本望ではないと。
誰のための、何のための、家づくりなのか、
日々、原点回帰で土台と軸を確認しながら
目の前の案件に全力を注いでいます。
追伸:
4月ですね。
去年の今頃は、大学院の入学式に出席していました。
皆さんそれぞれの来年の春は、
どこでどんな人生を迎えたいと望んでいるのでしょうか。
家族にとっての人生が<小川の家>なのか、それ以外なのかで
大きく変わる、そういう仕事を引き続きやっていきたいと思っています。
<家づくり診断の申込み>info@ogawanoie.jpまで