生き方は住まいに現れる〜予算より、どんな人生にしたいか〜
アパートの一室で生涯を過ごす人はたくさんいる。よしあしの問題ではなく、自分がこれから数十年間もそれを望むか否か。アパートの一室で新婚生活が始まり、子どもを授かり、子育てする、子どもが巣立つ、老後になり、人生を終える、そういう人生を望んでいるかどうか。
どんな人生を望んでいるのか、それをまず描く。構想する。
家づくりの相談、そして、実際の家づくりでは、思い通りにならないことを飲み込んでいかないといけません。それは単に、ほとんどの場合、お金の問題です。お金の問題とは、自らの稼ぐ力の問題です。土地、不動産会社、住宅会社の問題ではありません。要するに、アラブの王様のように、前沢さんのように、お金はいくらでもある、という状態に自分の人生を持っていけていれば、住まいの選択においても、妥協する必要はありません。なぜならお金はいくらでもあるからです。
他方、アパートの一室で暮らしている同じ人間、同じ家族が、劇的に暮らしと人生を変える、それが家を建てるという行為です。劇的な変化になるからこそ、大きな決断が必要です。同時に、稼ぎが2倍になるわけではありません。稼ぎは同じです。だから、今、両手に持っているもののうち、何かを手放さないといけない。それを手放さないで、さらに手に持とうとする、でも、持てない。これを妥協できない、というわけですが、私からすると、そんなもん妥協ではないです。比べているもの次元が異なるからです。
家がちょっと広いとか狭いとか、敷地が広いとか狭いとか、駅から遠いとか、通勤に時間がかかるとか、アパートの一室で生涯を終えることと比べて、どうか?なんですよね。
子供の校区や転校の問題を条件にする方もいますが、良かれと思って入った学校でも合わずに転校することもある。いじめの問題を気にする方もいるけれど、それはいじめられる側(被害者)が前提で、我が子が加害者側になることは想定していなかったりする。どっちもありうる。第一志望の高校に合格しても同様です。
住まいの問題は職業、通勤、勤務先や校区の問題とは次元が違う。
どんな人生にするか、自分と家族の生活拠点をどう確保するか、という根幹の問題。
夫婦でしっかりと住まいの問題を話し合えない場合、それはこれからの人生をどう歩んでいくか、その問題に向き合えない、共有できないことを意味する。話し合えない、方向性が決まらない、具体的に動かない、という現実は、時間は経過し、子どもはその場で成長していき、それがイコール家族の人生の日々になる。それを望んでいたことになる。妥協しているもの、犠牲にしているものとは何か。それは立地条件や家の広さではなく、望む暮らし、望む人生、幸福感そのものになる。駅から距離を妥協、犠牲にするのは嫌だと思っているけれど、現実はそうではない。
事務所横の公園で、近所の子どもたちが集まってきて、勝手に激しく遊んでいた^^千代の幸が完成したのが23年前なので、この子たちは、第何世代だろうか。
子どもが子どもでいる時間は限られていて、かけがえのない日々です。そのかけがえのない日々をどんな環境で生きるのか、育てるのか。まさに親にとっての人生です。子育て優先は幸せスパイラルです。